書評
『艸木虫魚』(岩波書店)
飄々たる名文の禅味
薄田泣菫という詩人は、その実、詩人としてよりも、随筆家として巨大な足跡を残した人であった。私の愛読書のなかの愛読書『茶話(ちゃばなし)』は、その代表的名品で、これさえあれば、ひと夏の無聊を慰めることなどわけもないが、もう少し手軽に泣菫の世界を味わうには、『艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)』に目を曝すのがよろしい。
随筆というものは、畢竟、万巻の書を読んで、その精髄を抜き書きすることだと言った人がある。誰だったかは忘れてしまったが・・・。
そういう意味でいうならば、泣菫の夥しい随筆類は、さしずめそのお手本と言ってもいいくらいのものなのだが、ただし、彼の筆法には一つの顕著な特色がある。
それは、古今東西夥しい書物を読みに読んで、珍談綺談とりまぜて縦横に抜き出し、それに彼一流のユーモアのスパイスを振りかけながら手短に書き流して、どの本から抜き出したことかという出典などは一切書かないことである。だから泣菫の随筆によって私どもは夥しいエピソードやトリビアを知ることができるけれど、いかんせんその原典を知り得ないので、果してこれがほんとうに典拠のある話なのか、それとも泣菫の創作なのか、ただ茫洋として曖昧模糊としている。それが泣菫随筆の面白いところなのだ。
すなわち、学者先生の書いた文章のように煩いまでに典拠を明らかにした野暮天な行き方ではなくて、へえ、なんという面白い話だ、と思ってちょいと頷き、またじんわりと読んでその雅致を味わい、あとは拘泥せずにさらりと読み流す、この一種の禅味のような風合いこそ、泣菫随筆の真骨頂というべく、その読後感はすこぶる爽快である。
初出メディア

スミセイベストブック 2013年11月号
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