書評

『ハシッシ・ギャング』(文藝春秋)

  • 2018/03/30
ハシッシ・ギャング / 小川 国夫
ハシッシ・ギャング
  • 著者:小川 国夫
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(250ページ)
  • ISBN-10:4163178805
  • ISBN-13:978-4163178806
内容紹介:
青春の翳。幻想の女。日常に潜む哀しみ、幻想、そして歓び-選び抜かれた言葉が彫り起す十一の小宇宙。

体温の伝達

表題作のもとにまとめられた「ハシッシ・ギャング」、「彰さんと直子」の二作を除き、厚、浩、田代、野崎、柚木と名前を変える「私」の年齢にそってほぼ編年でならべられた諸篇は、いずれも自伝的な匂いを色濃く漂わせている。中学受験準備で疲弊した身体に腹膜炎と肺浸潤を併発して命を落としかけた挿話や、ながい静養を強いられた彼を懸命に看病する母親の姿などは形を変えて反復されており、ことに駿河から藤枝に嫁いできたという母の姿に関しては、いくらかエッセイふうに綴られた「母の二つの家」のなかで詳しく補足されている。

語り手の背後には、つねに近しい他者の影が寄り添っている。工業学校を出てから町の鉄工場につとめ、年下の友人ともおおらかに接してくれる「もうちゃん」、予科練帰りの乱暴者ながらあたたかい一面を見せる増田明、旧制高校の年長の同級生で、メルヴィルに神以前の混沌へとさかのぼる力を読んだ文学仲間の山路八衛、ハシッシをやりながら幻聴を追う木南慈平、しつこく無心にやってくる父方の伯父、実家の裏手の寺を守る霊能者の景浦里、車椅子に乗った会社経営者で、語り手の後輩にあたる雪島。

彼らひとりひとりに、語り手は「人なつっこさ」を嗅ぎ当てて接近していくのだが、べとついた友情や血縁の軛(くびき)にむやみと苦しめられたりすることはない。「私」はある意味で徹底して孤独な立ち位置を与えられて、たがいの言葉と言葉のあいだに生じたかすかな体温を、誰かに伝達しようとする。「ハシッシ・ギャング」のなかで片思いの女性をめぐって呟かれる、「解らないでしょうから、伝えてあげてください」という謎めいた一節は、全篇を貫く主題と言ってもいい。

それはまた、必要以上の近さにたいする慴(おそ)れでもある。「私」は他者との波長の合一を、もしくは「暗さ」の相乗を極端に避けようとするからだ。確かなのは、「私」もまたひとりの求道者たらんとしていることである。穏やかな「です・ます」調の、抑揚を制限した文体がなおいっそう孤絶した眼の沈黙を読者に伝え、いきおい会話からは浮足だった言葉が消去されて中断符が多用されることになる。あたかも原初の宗教の求道者たちが厳しい巡礼のさなかですれちがうとき送りあう一瞬のめくばせにも似た、かぎりなく深い相互理解の可能性を探し求めるひそやかな息。

だがそんな心のうごめきを触診する掌のぬくもりが、とつぜん暴力的な眼差しに変容するのだ。海岸の岩場に張りついたおびただしい船虫の「大昔からの連繋ぶり」をいとわしく思い、「なぜバラバラになれないのか」と独語する一篇、「私」の呼吸の秘密がある。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ハシッシ・ギャング / 小川 国夫
ハシッシ・ギャング
  • 著者:小川 国夫
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(250ページ)
  • ISBN-10:4163178805
  • ISBN-13:978-4163178806
内容紹介:
青春の翳。幻想の女。日常に潜む哀しみ、幻想、そして歓び-選び抜かれた言葉が彫り起す十一の小宇宙。

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初出メディア

すばる

すばる 1998年11月号

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