書評

『なみだふるはな』(河出書房新社)

  • 2018/06/03
なみだふるはな / 石牟礼 道子,藤原 新也
なみだふるはな
  • 著者:石牟礼 道子,藤原 新也
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(225ページ)
  • 発売日:2012-03-08
  • ISBN-10:4309020941
  • ISBN-13:978-4309020945
内容紹介:
いま語られる水俣と福島。時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ目撃者ふたりは語り合う。

もの言わぬ山や川、沈黙滲ませる言葉

もちろん言の葉は繁茂しなくてはいけない。絶えてはいけない。しかし、カリウムと間違えてセシウムを取り込んでしまった葉のような、妙に大きく色濃くなった葉のような、そんな言葉ばかりが目に、耳につかないか。不安がつのる。そんな葉のあいだから美しい花が咲くのだろうか。もの言えぬ人たちの、もの言わぬ山や川や畑の沈黙を滲(にじ)ませて、やさしくそよぐ言の葉はどこにあるのか。

そんなとき、この本を開く。声が聞こえてくる。震災後すぐに被災地に入った写真家、藤原新也が語りかける相手は、戦後文学の傑作『苦海浄土』で水俣病の悲惨を描いた石牟礼道子。作家でもある藤原は、イメージや言葉などはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な現実があることを誰よりも知っている。しかしだからこそ写真を撮り、言葉を紡がねばならない。こんな未曽有の現実を出来(しゅったい)させてしまったこの国の近代化とは何だったのか。やはり近代化が生んだもう一つの悲劇、水俣の経験を石牟礼に問い尋ねながら藤原は考える。

苦しみや悪が、「善や優しさという人間の側面を一層磨いてくれる」。被災地で出会った人々のことを思いながら希望を抱く一方で、「人災では憎しみのような人の心のネガティブな面が膨大化する」と言う藤原は、自分の力では統御できないものを生み出した人間は滅びてもしかたないという絶望を完全に振り払うこともできない。

怒りと悲しみに揺れる緊張に満ちた藤原の言葉を、路傍や野辺の草の葉が風や光、動物たちの呼吸を受けとめるように、石牟礼の言葉はやわらかく、温かく、静かに受けいれる。彼女が語る幼い頃の水俣の風景は、それがもはや記憶のなかにしか存在しないがゆえに、貴く美しい。石牟礼の言の葉には、きれいな土や水がついている。複雑な波音を奏でる石垣造りの防波堤。三角頭を波間に出して、お日様に手を合わせるタチウオの群れ。人間が他の生き物だけではなく、見えないものの存在をもたしかに感じていた世界。

しかし近代化は、人のように心を持ち私たちのすぐそばにいたこの目に見えぬ存在を追放し、その代わりに、同じように目には見えないけれど、もっと恐ろしい非人間的なものを連れてきた。それが水俣を、福島を汚染し、多くの人々から故郷の海と山を奪い取ってしまった。「植物、動物、生きているものは千草百草、全部呼吸をしている。その呼吸を人間の力でできなくさせている。人間しかいたしませんもの。そんなこと」

本を閉じてもなお石牟礼が聴いた水俣病患者の言葉が耳から離れない。「知らんということがいちばんの罪。それで、知らん人たちのためにも、自分のためにも祈ります」
なみだふるはな / 石牟礼 道子,藤原 新也
なみだふるはな
  • 著者:石牟礼 道子,藤原 新也
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(225ページ)
  • 発売日:2012-03-08
  • ISBN-10:4309020941
  • ISBN-13:978-4309020945
内容紹介:
いま語られる水俣と福島。時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ目撃者ふたりは語り合う。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2012年4月1日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
小野 正嗣の書評/解説/選評
ページトップへ