フリーターという「下等」遊民
「フリーター」という用語が登場したのは1980年代後半。好況時であっただけに、自由で新しいライフスタイルとして肯定的なまなざしが多かった。大衆高等遊民の誕生かもしれないとさえおもわれた。ところがバブル崩壊とともに、フリーターをめぐって大衆高等遊民どころか「下等」遊民めいた悲惨さがつたえられるようになる。いまやニートとともに国家や社会を危うくする存在として社会問題にまでなっている。そんなフリーターは400万人、長期化と高齢化がすすんでいる(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2005年)。本書はフリーターを含めた若者の就職問題を、近頃の若者は移り気式の若者還元論ではなく、学校から職場への移行問題として解明している。焦点があてられているのは、国際的にも特異な「学校経由の就職」という制度。企業は職安をつうじて学校に求人をおこなう。学校は生徒を選抜し企業に推薦する。企業は学校の推薦を極力尊重して採用する。このような日本型学校経由就職は、若年失業率を減らし、しかも効率的と自画自賛されてきた。
しかし、90年代以降のサービス経済化や不況などによる非正規労働力需要の増大は、日本型学校経由就職の基盤を掘り崩してしまった。こうした形で就職する生徒はとみに減少している。同時に学校経由就職が覆い隠していた短所が一挙に露呈した。よい成績やまじめな生活態度であれば、それに応じて学校が優良企業を紹介してくれたから、将来の職業を視野に入れた教育や学びを損なわせてしまった。その意味で、フリーターは日本型学校経由就職がもっていた問題性、つまり教育の職業的意義の空洞化による最初の不運な犠牲者である。だからこそ、フリーター問題は、構造問題として社会が対処しなければならないという指摘は鋭く、重い。表紙カバーには憂いをおびた寂しい若者が描かれている。著者の若者と教育への熱い思いと重なって胸にせまる。
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