大人の実践の方法も提言する
いじめ、学級崩壊、あるいは殺人など、子どもをめぐる環境には、何か、大きな変化が起きているらしい。こう感じている大人は多かろう。自分達が育ってきた時とはどうも違って、子どもが異邦人のように思えてならない、と感じる親も多いに違いない。
このままでは日本の社会はやがて崩壊していくのではないか。真剣に考えてみなければならない。そのためには何をすべきであろうか。
こうした危惧に基づく考察の上にたって、今、なすべき実践について提言したのが本書である。多くの大人、そして子どもに読んで欲しい、と著者は訴えている。
本書のキーワードは「社会力」である。これは社会性とか、社会化といった言葉に見られるような、社会に適応する在り方のそれではない。社会を作り上げ、改革してゆく人間の能力や意欲を意味するものであり、著者の造語という。
その社会力を身に付けることがいかに大事であるかを、まず著者は発達心理学や認知心理学の成果によりながら、幼児が社会との応答によって成長してゆく様から探る。
新生児の生得的な能力はすこぶる高い。自分から積極的に環境に働きかけ、それへの反応をみて対処する能力、大人をまねる能力など、目を見張るような能力があることが、幾つもの実験結果で示される。
それがゆえに、幼児の能力は他者との相互行為によって高まるものであり、母親が子どもに応答することが極めて重要となる。
ところが今の日本の現状はどうであろうか。テレビなどに子育てが任され、放っておかれるような育て方などの問題点を指摘する。
さらに、いよいよ社会力が育ってゆく四歳からの時期になると、問題はすこぶる多くなってくる。環境との相互作用が重要なのに、少子化や父親不在、受験競争の激化によって、共同の作業が失われ、また家庭をめぐる地域のコミュニケーションもなくなっている。学校も共同性をなくしていった。
もちろん、こうした現象だけならば、これまでにも多くなされてきたのだが、本書はこうした事態に対応して、子どもの社会力を育てるための大人の実践の方法を提言しているところに特徴がある。
その際、すぐに教育を何とかしなければ、ということで、躾を強調するのはやめて欲しい、教育は一種のお節介である、という。そして子どものための家庭や地域づくりから始める必要があると力説する。
父親は家庭に戻ること、「冒険遊び場」などの子どものための遊び場を作ることなど、身近な実践が提言されている。ライネル・プランのような地域の課題をみつけて学習を通じて地域づくりを行なう実践例も報告されていて興味深い。
それぞれ重要な実践の例であり、今後、こうした試みが各地でなされてゆくことが望まれるが、私が感じたのは、「社会力」が最も必要とされるのは、どうも子どもより大人の側にあるらしいということである。
今の大人が子どもの時代にどう育ってきたかをも、よくよく考えてみる必要がありそうだ。その大人が「社会力」を身に付けるためにも、子どものための家庭や地域づくりが必要なように思えてならない。
「社会力」は、著者のいう、二十代後半からの第三ステップにおいて試されているのであろう。
子どもの未来と社会は大人の力にかかわっているようだ。