書評
『悲惨すぎる家なき子の死』(河出書房新社)
異端で在り続けるための苦闘
評者は中原昌也作品の良き読者ではない。三島由紀夫賞を受賞したとき猛反対した。書かれてある中身が理解出来ないわけではなくすべて頭に入ってくる。ごくまっとうな日本語で書かれてあるのだから。それを書く作者が解(わか)らない。
解らないものは恐怖だ。恐怖を取り除くために無視することも出来るが、その中に潜り込むことで、恐怖を取り除く方法ももちろんある。恐怖の種を囓(かじ)ってみて大した味ではないと安堵(あんど)したり、種の行く末を想像してその攻撃性を測り、この程度なら恐るるに足りずと警戒意識を収める。こうした不純で自己防衛的な読書もある。作者の側からすれば、脅威を蔓延(まんえん)させて読者を獲得する方法もあるだろう。
折しも自分の不注意で肋骨(ろっこつ)を3本折った。固定ベルトで胸部をきつく締め付けると呼吸量が三分の二に落ち、その分脳の酸素も不足し、痛み止めのロキソニンは理知の覚醒を妨げる。意識の一部に雲がかかり、まさに中原昌也を読むには絶好のコンディションである。
本書は7編の短編から成っている。いずれも大して面白くないが、これらを書く作者は異常に面白かった。目で追っているのは作品世界のようで、作者の内面に巣くうネガティブな意識に取り憑(つ)かれて読み進んでいた。おまけに作者の手による奇矯な絵がかなりの枚数挟み込まれていて、その見開きページごとに、作品というより作者自身に面と向き合うことになる。うまく相乗効果を成している。
表題作「悲惨すぎる家なき子の死」は小森翔太の出現と消失が描かれる。小森は「同じ空間にいる、すべての人間が彼に殺意を覚える。そしてそこにあるすべての物体が、凶器になる可能性を、瞬時に宿す」という男だ。「たまたまその場に居合わせてしまった根が善良な性質(たち)の者は、小森に対する自分の凶暴なまでの理由のない憎しみにショックを受ける」「誰しも、自らの秘めたる野蛮で残忍な獣性に向き合うことになるからだ」
そんな男はこの世に存在しない。存在しているのは、暴力を誘発する小森を描かなくてはならない、作者の意識だけである。
「かつて馬だった娘」ではぼんやりと窓の外の光景を眺めているところに、オバサンがやってきて「いつまでそうやってボンヤリしているのよ!」「あんた、まだボンヤリしてるの!」などと言う。暴力誘発装置が作動し始める。手頃な鉄パイプを手に、醜い顔面を強打してやりたい、顔面を血まみれにする、許せない相手を徹底的に再起不能にすることを空想する。やがてこのオバサンは裕子という娘を連れてくるが、裕子は馬だった。馬だからいななき暴れる。「前世は動物だったと思い込んでいる人たちが、ある日突然凶暴になって引き起こした悲惨な事件」もあるのだと先に記述があるとおり、やがて修羅場の全開となる。電気ノコギリで暴れる馬を解体しようとしたり、包丁で襲いかかったり、「馬鹿馬鹿しいほどに救いのない惨劇」が繰り広げられる。やがて馬を含む登場人物たちは、人間と獣の血に濡(ぬ)れて、もはや何の動物の身体の部位なのか判別できないものの中に、よく見れば、馬の生首が転がっているのである。
これぞ中原昌也的なカタルシス。だが、血が飛び散ろうと死肉が場面一杯に散らかろうと、不思議に人間の暗部に触れたおぞましさや恐(こわ)さは無い。美ではないかわりに醜でもない。草木や花が吹き乱れるように血や肉が物質の一つとして散乱するだけで、滑稽(こっけい)なおかしみさえ湧く。これは三流スラップスティック映画が文芸大作を越える一瞬に似ている。
現実社会では、嫌悪の発露としての暴力など及びもつかないほどの非道な悪行がまかり通っているのを思えば、ここに描かれた自虐的な攻撃性などは、やがて不全なる人間の哀(かな)しみの中に包括されてしまうだろう。そしてこのことは作者の本意には沿わず、哀しみの中に包括されたとなればさらに血と肉の砲弾をぶち上げて、覆い被(かぶ)さってくる概念の膜を破壊したくなるに違いない。中原昌也は闘っている。そのように位置づけられてたまるかと。文章を書いて原稿料を稼ぐより、真っ白いページを提供したいと繰り返し書き、それが出来ない自分と闘っている。この世が、実は破壊するに足る価値を持っていないと知ることこそ、中原昌也にとっての恐怖なのだろう。だが世界はもはや壊れている。だから造るしかないのだが。
読んで良かったかとなると、良かった。悪戦苦闘する作家を見るのは、血肉が飛び散る作品そのものより面白い。私も闘っていることを思い出させてくれた。中学二年のとき弁論大会で学校代表になったテーマは「正統すら愛せなくて、なぜ正統への反旗を掲げることが出来るか」だった。あれ以来、私も中学二年のおぞましい自分と闘い続けている。異端であり続けることは困難だが、まずは異端として出発出来た人間は、それだけで幸福だ。
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