書評
『銀幕の果てに』(トレンドシェア)
原子炉と撮影所絡め、神に挑む深い業描く
高速増殖炉「もんじゅ」「ふげん」――この名前は、文殊菩薩、普賢菩薩からきている。人類の最高の叡智(えいち)を集めた原子炉に、人は仏の名前をつけたのだ。あやかりたい、という謙虚な気持ちももちろんあるだろう。が、いっぽうで、自らの手で神にも仏にも匹敵するものを生み出したという傲慢(ごうまん)な思いが、見え隠れするネーミングでもある。「こりゃ、人間、来るところまで来たな」という思いが、おそらくはこの小説の出発点だ。核を手にした人間や国家が、これまで何をしでかし、またこれから何をしようとしているのか。話のスケールは大きく、最終的には、人間と仏との戦いにまで広がってゆく。
核の問題を縦糸とするならば、横糸には、往年のスター野火止玲子をめぐる撮影所の物語が絡む。こちらは、撮影中におこった殺人事件を解明してゆくミステリー仕立てだ。撮影現場の厳しさや、女優の性(さが)といったものが、生き生きと、またユーモラスに描かれている。
一見なんの関(かか)わりもないような縦糸と横糸だが、斜陽産業となった映画の広大な撮影所に、ひそかに原発が造られている、という奇抜な設定が、この複雑な物語を可能にした。
はじめは、強引な設定だなあと思うのだが、読みすすめてゆくうちに、この二つの話が、作者のなかでは同じ種類の、そして同じ重みのものなのだ、と感じられてくる。
「女優さんってのは、オレたちよりも神様に一歩近いってことかな……」
「役者ってのはその神に挑む、業の深さを持っている人間のことなんだろうよ」
こういった言葉がたぶん、ヒントになる。非常に現実的な核の世界と、ある意味では非現実的な銀幕の世界と。しかし両者はともに、業の深い人間の神への挑戦の物語なのだ。そして作者は、もし、人間が神を超えることがあるとしたら、核という科学によってではない、と考えているようだ。
「原発の炉心に燃える青白い炎よりも、スクリーンの向こうには、もっと激しい炎がある」という、帯にある著者の言葉が印象深い。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1994年4月3日
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