空でつながる戦争 義足 パラ
空はいくつも様相を変える。天気ばかりではなくて、空にはそれを見る人間の感情が載る。主人公のみのりは香川の生まれで、十八歳で東京に出るまで、故郷の広々した空に「閉じ込められている」と感じていた。学生時代のボランティア活動を皮切りに、ネパール、インド、ヨルダンなど、異国の空の下へ向かう。空は、どこから見ても空なのだが、各国の事情も違い、その時々のみのりの感情も違うから、色も雲も星も、見え方は多様だ。
四十を過ぎたみのりは、ある挫折を経て、結婚し、東京のケーキ店で働いている。故郷には家族経営のうどん店があるが、みのりの気がかりは、不登校になった甥・陸と、過去に蓋をして生きている九十過ぎの祖父・清美だ。清美は従軍経験があり、戦地で片足を失っている。あるとき、清美の部屋で、「涼花」という女性から来た手紙を見つけた。陸のリサーチで、女性がパラリンピックの走り高跳び選手だとわかる。若いアスリートと老人の意外な接点とは――。
小説の中の時間は自在に往還する。二〇一九年から二〇年の現在時点以上に濃密に描かれるのは、十八歳から十年余に亘る、みのりの精神的彷徨だ。紛争地や貧困地域にボランティアに行くサークルで、玲やムーミン、翔太といった友人たちと出会う。ジャーナリストになる玲、カメラマンになる翔太、NGO職員になるムーミン。それぞれの道を模索する友人たちに共感や反発を含めた複雑な思いを抱きながら、自らも、何かしたいという感情に突き動かされて、卒業後もインドの孤児院やヨルダンの難民キャンプを訪問するスタディツアーに参加する。
これら、みのりが体験する外国の風景と人々の存在は強烈だ。とりわけ、「ボランティア」、「紛争地の子どもたち」といったものから連想されるステレオタイプに、みのり自身がとらわれ、もがく心の内側が、丹念に写し取られる。そして、ある事件をきっかけに、みのりが気づく「どこの国でも自動販売機でお酒が買えると信じて疑わないくらい」の視野の狭さ、想像力の及ばなさ、世界の現実と自分の現実の絶望的な距離は、読者の胸にも何かを鋭く突きつける。それでも、みのりはかつて、「助ける、助けられるという関係性とはもっと違った、かけ離れた『ふつう』を通じ合わせる方法」を見つけたいと思ったのだけれど。紛争地の子どもは安全地帯から想像する非日常を生きているのではなく、そこに彼らの「ふつう」があると知ったのだけれども。
みのりの葛藤の物語に、さらに時間的襞を重ねるのは、清美の回想だ。一兵卒として戦場に赴いた、足の速かった青年。足を失くし、足と共に感情も失ったかのような男。
清美が家族には何も告げずに東京に行き、競技用の義足を初めてつけた日、大声で笑い出して「こんなんじゃ空を飛べるんとちゃうんやろか!」と叫ぶエピソードが圧巻だ。戦争と義足とパラリンピックが、香川のうどん店とアンマンの難民キャンプが、鮮やかにつながる。そう、空だ。これは空の物語なのだ。
生者を励ます死者たちの声、傷ついた者たちの再生に、地に足のついた希望を感じた。大陸で戦争が始まり胸ふさがれる日々だが、今、読むべき小説に出会えた思いでいる。