衝撃的な題材を手堅いリアリズムで
天童荒太の新作は、一九九五年発表の『家族狩り』の完全な改稿版である。その結果、一冊の単行本が、五分冊の文庫本へと成長した。四〇〇字づめ原稿用紙で二六〇〇枚をこえる大作だ。関東近辺で、家族を皆殺しにする事件が続発する。家庭内暴力をふるう子供が肉親を殺害し、自殺するというパターンだった。親たちには、生きているうちに残虐な暴行が加えられていた。
捜査にたずさわるベテラン刑事・馬見原(まみはら)は、家庭内暴力の激化という警察内部の判断に疑問をおぼえる。子供が実の親をあんなふうに殺せるはずがない。しかし、馬見原自身、息子がオートバイで自殺同然の死をとげて以来、妻は精神を病み、娘は仕事中毒の父親を憎悪するという、家族崩壊の危機に直面していた。
事件の捜査が進むうち、馬見原の周囲に、家族関係の葛藤で身も心も傷ついた人びとが浮かびあがり、彼らの物語がしだいに一つの焦点を結んでいく。
その群像の立体的な描き分けがみごとである。改稿版では副次的な登場人物の数もふえ、人間的な温かみに力点がおかれ、小説全体がふくよかな印象になった。省筆も大胆におこなわれている。九五年版の残酷さを誇張するような描写は抑制され、題材はショッキングだが、手堅いリアリズムの感触が増している。ともかく、読者にこの大冊のページをたゆみなく繰らせる作者の力量は、現在の日本の小説界でも屈指のものだ。
だが、最大の変化は、新版では家族の問題と並んで、阪神大震災や9・11など世界の悲惨な事件への言及が多くなったことだ。家庭内の悲劇と世界の悲劇が無媒介に等価なできごととして比較されているのだが、その点には疑問を感じる。
村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』や、片山恭一の『雨の日のイルカたちは』にも通じる傾向であり、外の世界の悲劇と自分の内面の苦しみを重ねあわせることで、世界の悲惨に傷つく良心の証しにしようとするのだ。しかし、それは無根拠な自己満足にすぎない。そうした感傷をこえて、この有能な作者が世界の実像を見すえる時を待ちたいと思う。