「現在」に悲観的な人間にデータで希望を実証
人間の状況評価には遠近の歪(ゆが)みがある。近いものほど粗(あら)が目立ち、遠いものほどよく見える。メディアは日本の状況がいかに悪いかを論じる記事を連日発信する。カネとエネルギーに溢れる中国はダイナミックに成長し、アメリカではシリコンバレーがイノベーションを次々に生み出している。それに比べて日本の閉塞感と体たらくは何だ──。これは空間的な例だが、時間軸でみると遠近の歪みはさらに増幅する。「今は最悪、昔は良かった……」に人々の評価は流れる。「そんなことはない!」と最初から最後まで全力で主張するのが本書である。
食料、衛生、寿命、貧困、暴力、環境といった10の社会基盤を取り上げ、ありとあらゆる点で昔よりも今のほうが世の中は良くなっているとデータで論証する。食料でいえば、17世紀末のフィンランドの飢餓では全人口の3分の1が餓死した。18世紀になっても、英仏人の摂取カロリーは現在の最悪地域であるサブサハラアフリカの平均値よりも少なかった。カロリー不足のために人々は働けず、これが食料生産を妨げていた。200年前の英仏の住民の2割はまったく働けなかった。
19世紀後半から飢餓は減少し始め、20世紀に入ると事態は一気に改善した。工業的な窒素固定(空気中の窒素から窒素化合物を作ること)の技術は化学肥料をもたらした。コンバイン収穫は生産性を2500倍に引き上げた。個人の自由とオープンな経済取引も進歩の原動力として欠かせない。共産主義国家や絶対君主国は20世紀に入ってからも飢餓に苦しんだが、民主主義国家は飢餓を撲滅した。
中国でも相対的な民主化が進み、個人の自由な創意と経済取引が農業生産を激増させることが分かると人民公社は姿を消した。その結果、生産性は飛躍的に増えた。
時間的な遠近の歪みは人間の本性といってよい。「邪悪な時代がやってきて、世界は老いて険悪となった。政治は腐敗した。子供たちはもはや親を尊敬しない」──本書で紹介されている紀元前3800年の碑文である。
人間の努力と英知が進歩をもたらした。さらなる人間社会の進歩に向けて、本書は大いにモチベーションをかき立てる。と同時に、現代に暮らすわれわれの気持ちを和らげる。
目の前の不幸や理不尽を嘆く貴兄にお読みいただきたい。過去と比べて今がどれほど幸せな時代か。しみじみと思い知らされる。
一粒で二度おいしい。