書評

『林芙美子―女のひとり旅』(新潮社)

  • 2018/09/26
林芙美子―女のひとり旅 / 角田 光代,橋本 由起子
林芙美子―女のひとり旅
  • 著者:角田 光代,橋本 由起子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(135ページ)
  • 発売日:2010-11-01
  • ISBN:4106022125
内容紹介:
芙美子が人生の節目に旅し、愛した場所を、彼女自身の時にわくわく、時にしみじみとした紀行文を読みながらたどる。

「宿命的な放浪者」の不安と快楽を辿る旅

林芙美子という作家は、森光子演じる「放浪記」がヒットしたおかげで、子供時代の貧しい行商生活から流行作家にのし上がっていく様子や、成功した後、過去の貧困の反動で過剰なお金の使い方をして、トラウマの悲しさ滑稽(こっけい)さを晒(さら)す姿が、世間ではすでによく知られている。

それが彼女の真実であったかどうかは別にして、貧しいということは、金持ちになっても永遠に貧しさからは逃れられないのだと、芝居を見終わって深い感慨を覚えた。その意味では、一人の女流作家の生涯を描いていながら、お金と人間の本質的な関わりに、普遍性をもって迫っていたからこそ、この芝居がヒットしたのだろう。

そしてこの本は、林芙美子の別の顔を紹介する。旅する女の姿が、彼女の文章や旅先の写真とともに、浮かび上がってくる。

旅先で綴(つづ)られた文章のあいだに、日本近代文学の研究者橋本由起子さんが解説を加えていくという、いわば林芙美子の人生を辿(たど)りながら、読者も旅が出来る趣向になっている。

それは子供時代の門司から始まり、尾道、東京、パリと来て、最後は『浮雲』の取材で訪れた屋久島。

『浮雲』を書き終えて二ケ月後に死んだので、おおよそ彼女の人生を網羅したことにもなる。

旅を綴る文章というのは着地点を定める必要がない。読んでいて面白いのはプロセスであり、それを本能的に知るセンスある作者は、安全に家に戻り着いた場面までは書かない。読者としても無事家まで連れて戻って欲しいわけではなく、むしろ旅半ばで放り出され、あとは想像力で旅をする、それが正しい旅行記の在り方。

だから旅先で書かれる文章は、認識の整理など構わず、勢いよく跳ねる。どちらに流れて行くか判(わか)らない面白さがある。

作者が見聞きするものが新鮮であるか、感動が伝わるか、それだけが勝負だが、文章を読みながら見る写真は、読者に別の目を与えるので、見馴(みな)れた景色が特別の意味を持ってくる。

この一冊を読み終えて、いや眺め終えたとき、人の一生もカタチの定まらない、誕生から死への単なるプロセスだと思えてくる。これこそ良質の旅に触れたときの、身が軽くなるような清々(すがすが)しい感慨。

冒頭に角田光代さんのエッセイが置かれている。

……『放浪記』でデビューした芙美子は、生涯、放浪者、旅人だったと私は思う。家もあったし家族もいた、けれどやっぱり、定住すると旅の虫が騒ぎ出す。巴里(パリ)や英国で、帰りたい帰りたいと言うのは、旅人だからこそである。その地で暮らしても、彼女は生活者にはなれなかった。……一度こういう旅をすると、人は死ぬまで旅に取り憑(つ)かれる……

帰りたい気持になるための旅。ふたたび旅に出たくなるための帰郷。

この矛盾往復を繰り返す願望は、棲(す)み所だけでなく、恋愛においても結婚においても仕事においても発動する。安定を得たとたん内燃する衝動。人はいつも、「ここではないどこか」に身を置きたいと願う生きものらしい。

「宿命的な放浪者」(本人の言葉)は林芙美子に限ったことではないと気付かせ、定まった居場所を持つと漠然と信じている読者に、「剥(む)き身でさまよう不安と快楽」を教えるこの本は、大変危険な書でもある。

さらに言えば、私たちはまだ「旅をしていない」と気付かせる啓蒙(けいもう)の書でもある。

さあ、旅に出よう。それが人生だ。
林芙美子―女のひとり旅 / 角田 光代,橋本 由起子
林芙美子―女のひとり旅
  • 著者:角田 光代,橋本 由起子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(135ページ)
  • 発売日:2010-11-01
  • ISBN:4106022125
内容紹介:
芙美子が人生の節目に旅し、愛した場所を、彼女自身の時にわくわく、時にしみじみとした紀行文を読みながらたどる。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2011年1月23日

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