書評
『元祖・本家の店めぐり町歩き』(芸術新聞社)
役立つことにはソッポを向く 「少年オトナ」のシャレたやりとり
世の中にはオトナになりきらなかったオトナがいるものだ。オトナになり損ねたのか、オトナになりたくなかったのか。そんなオトナはいつまでも、いたずらを思案している少年のココロをもっている。役立つことにはソッポを向いているのに、無用のこと、ミのないこととなると、目を輝かして駆け出していく。ここにご登場の坂崎重盛、南伸坊のご両名など、アッパレな「少年オトナ」の代表だ。ときおり肩をそびやかして歩いていたりするが、得意なときの少年のスタイルであるとともに、天使が肩にそなえている羽根の根っこを、のこしているせいだろう。
このたびは元祖、本家の店めぐり、町歩き。たしかにノレンや看板に晴れやかに、その旨をうたってあるものだ。ありがたみがある上に、「元祖、本家を名乗る店があるところは、よき歴史・伝統がいまでも残る、好ましい、散歩しがいのある町が多い」。
ナルホド、そんなわけで、元祖が密集する日光のくだり。
「お、また元祖。元祖、日光酒まんじゅうの湯沢屋。閉まってるけど」
「あっちにも、まだありますよ。『元祖・ゆば料理の恵比寿屋』。またまた、閉まってますが」
「通りの向こうに、今度は『元祖・練り羊羹の綿屋半兵衛』、『綿半』ですって。創業天明七年。ただ、やっぱり閉まってる」
「あっ、あそこ。元祖・ゆばそばって書いてある!……けど、やってない」
当人たちは大まじめなのだが、喜劇を見ているようにたのしい。とともに元祖・本家といったものの姿が、みごとに示されているような気がする。元祖なり本家なりを名乗るだけあって、はじまりはそれだけで魅力があった。しかし、単に元祖・本家だけで魅力があるのは、女性と同じで、つかのまのこと、年とともに容色が衰えをみせる。そのなかで矜恃(きょうじ)を保ちつづけ、たえず誇りを思い出して、弱気になりがちな家族を励まし、元祖・本家の意地を通そうとする。いつしか時代とズレてきて、誰の興味もひかなくなり、元祖・本家の悩み、苦労を誰も気にかけてくれない―。
東京・麻布十番、門前仲町、湯島界隈(かいわい)、築地・佃・月島界隈、はては日本橋・人形町。いいところを歩いている。ブラブラ歩いて、思いついて喋ったことが、それだけでたのしい読み物になる。どこがシャレているのかといわれそうだが、最高にシャレた会話は、ごく自然な会話であって、だからこそ流れる水のようなやりとりが実現した。
「おお、ときわ食堂。このへん、多いんです。ときわ食堂という名前の店が」
「巣鴨だけでも、地蔵通り商店街に二軒と、ほかにも近くに一軒ありますよ」
なにかとウンチクを振りまわすオジサンは多いが、ここでは料理や食材についての知識にわたることに注意しよう。それは元来、他人に吹聴するものではなく、自分がおいしく食べるために欠かせないはずのものなのだ。
一ページごとに、ヘエ、ホント? マサカ、ナルホドの世界にひきこまれていく。高級プラプラ散歩ウンチクおしゃべり入門篇のおもむきがある。ただのオトナになりきれず、肩の羽根を打ち振って未知の世界へ飛ぼうという人におすすめしよう。たぶんどこの街にも、こういう店が一つや二つあるものだ。
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