広く採集した自衛隊員の声
なかでもPKOでカンボジアに派遣された自衛隊員の話がおもしろい。ある兵士は高校時代、小遣いの大半をつぎ込みモデルガンや米軍の制服を買いあさる「軍事おたく」だった。そのころの彼の憧(あこが)れはフランスの外人部隊である。とりあえず自衛隊に入った。カンボジア行きを志願したのは、外人部隊に入るステップという思いつきでもある。だがカンボジアはPKOであろうと、ポル・ポト派がいつ襲って来るかわからないリアルな世界なのだった。内戦再発の危険をはらむ緊迫した情勢と否応なしに向き合わねばならない。宿営地には弾よけの土嚢(どのう)が築かれ、休日の外出にも制限が加えられた。プライバシーのまったくないテントの下の生活、連日の炎天下の道路の補修工事。ささいなこと、たとえばスイカの取り分が原因で殴り合いの喧嘩(けんか)にまでエスカレートすることさえあった。「オイチョカブ」が開帳され、あちこちのベッドの上でトランプカードとドル札がばらまかれ、車座ができた。「ディア・ハンター」などのアメリカのベトナム戦争映画を想い出させる。
ある日外人部隊憧れ兵士は、ほんもののフランス兵を見かける。眼つきからして違った。自衛隊員は銃を持って見張りについてもかんじんの弾はこめないが、彼らは弾倉を充填(じゅうてん)した銃を片時たりとも離さない。
外人部隊のなかに自分そっくりなやつがいる。声をかけると日本人だった。十八歳で日本を飛び出し外人部隊にもぐりこんですでに二年になるという。「外人部隊って、きつい?」と憧れ兵士は訊(たず)ねてみた。「自衛隊をやめて、おれも入りたいな」と言った。すると彼は「やめた方がいいですよ」とポツリと断定的に言い、黙った。その青年の言葉の重たい響きが素直に受け入れられたのは、“戦地”を知ったからである。
本書の読者はタイトルの通り、素直に彼らの体験に耳を傾けるとよい。著者が広く深く採集した声を聞けば、確実に新しい時代に入っていることがわかる。