書評
『モダニズム変奏曲―東アジアの近現代音楽史』(朔北社)
黒澤明や小津安二郎を抜きにした映画史は考えられない。彼らがフランス起源のシネマトグラフに斬新な手法と主題をもちこんだことは、世界的に公認されている。しかし欧米の音楽史ではいまだに尹伊桑(ユンイサン)や武満徹は傍流だと見なされ、最後に付録のように言及されるばかりである。他ならぬ日本のクラシック音楽マニアがそうだ。東洋人が西洋音楽を真似ても、所詮は「あんよは上手」の域を出ることはないと、自虐的に無関心を振舞うばかりである。この認識の違いはいったいどこに基因するものかと、映画史家であるわたしは長い間考えてきた。映画と西洋音楽は、いずれも19世紀後半に西欧から東アジアに導入された近代の代名詞であり、悪戦苦闘の末に定着したはずのものではなかったのか。
本書は日本、中国、韓国にあって西洋近代音楽がいかに伝播され、当地の伝統音楽との対決競合を体験した後、やがて独自の作曲家を産み出すまでの過程を、つぶさに比較検討した研究である。いずれの国も初期にあっては、キリスト教、軍隊、学校教育という3本の柱を通して西洋音楽を受容したという点では共通しているが、その受入れ基盤は異なっていた。また20世紀には韓国は植民地化され、中国は社会主義化されたことで、音楽の発展が大きく阻害された。大著ゆえに軽々しい要約は避けたいが、読んでいて興味深い挿話が続くのに圧倒された。日本の『君が代』の原型がお雇い外国人による『蛍の光』の翻案であることは有名だが、韓国の『愛国歌』は植民地下に国際的に活躍した音楽家の手になる、真性の作曲であった。また中国の国歌は、日本で客死した青年が『嵐のなかの若者たち』というフィルムのため、映画音楽として作曲したものであった。孫悟空の毛の一本一本がまた猿になるように、わたしは通史である本書を手がかりにして、多くの研究が生まれることを期待したい。東アジア芸術の近代がけっして西欧のそれの安直な模倣ではなく、モダニティという観念の再検討を求めるほどの実験であったことが、ここから了解されてくる。
この好著から示唆されたことを、二、三付け加えておきたい。
今日の日本の子供たちの間では、音痴がどんどん減っていっていると聞いた。これは近代の教育上悦ばしいことのように受け取られているが、本書が提示してみせた西洋音階の導入によるアジアの伝統的音階の周縁化という文脈のなかで捉えなおしてみると、別の見方ができるかもしれない。音痴とは要するに、伝統的な音階により深く無意識的に親しんできたため、どうしても身体が西洋音楽に抵抗を示してしまうという現象なのである。音痴の減少とはしたがって、日本人がいかに西洋音楽に馴致されていったかを物語っているにすぎないのだ。
もうひとつ想起したのは、近代の国民国家における音楽とナショナリズムの関係において、西洋音楽がはたした役割であった。先にも述べたように、東アジアの国歌は天皇への忠誠と愛国主義を標榜しながらも、出自において多分に怪しげな要素をもち、西洋近代との接触があってこそ始めて可能となった音楽であった。
民族音楽の宝庫と呼ばれて久しいインドネシアにおいても、興味深い現象が見受けられる。インドネシアといえばガムラン音楽と相場が決まっているが、ジャワとバリにそれぞれまったく異なったスタイルをもつこの打楽器オーケストラの音楽を、はたして数百の民族と言語をもつインドネシアが国家を代表する音楽として公認していいのかという問題をめぐって、独立以後長い討議がなされてきたと聞いた。スマトラやカリマンタンの知識人はいっせいにガムランの国家音楽化に反対したし、ジャワとバリでも、互いに演奏形式があまりに異なるため、そのいずれかを選ぶことに疑義が提出された。一時はより国民的に親しまれているクロンチョンをインドネシアを代表する音楽と見なそうという動きがあった、というのもこの音楽はもともとポルトガルの俗曲が起源であり、インドネシアを構成する多くの文化に対し、外部からの到来者であるがゆえに対等の関係にあったためである。だが結局この企ては成功せず、インドネシアはいまだにあまりに多様な音楽文化を抱え込みすぎてしまったがゆえに、一国を代表する音楽を決定できずにいる。ともあれ外部からの音楽こそが、ある時期において多様な現実を内包する国民国家を統合する音楽と見なされうるという皮肉な事態が、この世界最大のムスリム国家においてもあったことを、この挿話は物語っている。
映画史においても、この書物に似た試みがなされることを、期待してやまない。
【この書評が収録されている書籍】
本書は日本、中国、韓国にあって西洋近代音楽がいかに伝播され、当地の伝統音楽との対決競合を体験した後、やがて独自の作曲家を産み出すまでの過程を、つぶさに比較検討した研究である。いずれの国も初期にあっては、キリスト教、軍隊、学校教育という3本の柱を通して西洋音楽を受容したという点では共通しているが、その受入れ基盤は異なっていた。また20世紀には韓国は植民地化され、中国は社会主義化されたことで、音楽の発展が大きく阻害された。大著ゆえに軽々しい要約は避けたいが、読んでいて興味深い挿話が続くのに圧倒された。日本の『君が代』の原型がお雇い外国人による『蛍の光』の翻案であることは有名だが、韓国の『愛国歌』は植民地下に国際的に活躍した音楽家の手になる、真性の作曲であった。また中国の国歌は、日本で客死した青年が『嵐のなかの若者たち』というフィルムのため、映画音楽として作曲したものであった。孫悟空の毛の一本一本がまた猿になるように、わたしは通史である本書を手がかりにして、多くの研究が生まれることを期待したい。東アジア芸術の近代がけっして西欧のそれの安直な模倣ではなく、モダニティという観念の再検討を求めるほどの実験であったことが、ここから了解されてくる。
この好著から示唆されたことを、二、三付け加えておきたい。
今日の日本の子供たちの間では、音痴がどんどん減っていっていると聞いた。これは近代の教育上悦ばしいことのように受け取られているが、本書が提示してみせた西洋音階の導入によるアジアの伝統的音階の周縁化という文脈のなかで捉えなおしてみると、別の見方ができるかもしれない。音痴とは要するに、伝統的な音階により深く無意識的に親しんできたため、どうしても身体が西洋音楽に抵抗を示してしまうという現象なのである。音痴の減少とはしたがって、日本人がいかに西洋音楽に馴致されていったかを物語っているにすぎないのだ。
もうひとつ想起したのは、近代の国民国家における音楽とナショナリズムの関係において、西洋音楽がはたした役割であった。先にも述べたように、東アジアの国歌は天皇への忠誠と愛国主義を標榜しながらも、出自において多分に怪しげな要素をもち、西洋近代との接触があってこそ始めて可能となった音楽であった。
民族音楽の宝庫と呼ばれて久しいインドネシアにおいても、興味深い現象が見受けられる。インドネシアといえばガムラン音楽と相場が決まっているが、ジャワとバリにそれぞれまったく異なったスタイルをもつこの打楽器オーケストラの音楽を、はたして数百の民族と言語をもつインドネシアが国家を代表する音楽として公認していいのかという問題をめぐって、独立以後長い討議がなされてきたと聞いた。スマトラやカリマンタンの知識人はいっせいにガムランの国家音楽化に反対したし、ジャワとバリでも、互いに演奏形式があまりに異なるため、そのいずれかを選ぶことに疑義が提出された。一時はより国民的に親しまれているクロンチョンをインドネシアを代表する音楽と見なそうという動きがあった、というのもこの音楽はもともとポルトガルの俗曲が起源であり、インドネシアを構成する多くの文化に対し、外部からの到来者であるがゆえに対等の関係にあったためである。だが結局この企ては成功せず、インドネシアはいまだにあまりに多様な音楽文化を抱え込みすぎてしまったがゆえに、一国を代表する音楽を決定できずにいる。ともあれ外部からの音楽こそが、ある時期において多様な現実を内包する国民国家を統合する音楽と見なされうるという皮肉な事態が、この世界最大のムスリム国家においてもあったことを、この挿話は物語っている。
映画史においても、この書物に似た試みがなされることを、期待してやまない。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

共同通信社 2005年9月1日
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