書評

『モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン』(講談社)

  • 2024/06/26
モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン / 小宮 正安
モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン
  • 著者:小宮 正安
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2011-03-18
  • ISBN-10:4062880962
  • ISBN-13:978-4062880961
内容紹介:
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.… もっと読む
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。
誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。
ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。
しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。
ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。
なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。
1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。

うーむ、これはもったいない

小宮正安さんは篤学の士である。そのいっぽうで、ヨーロッパの音楽に通暁した教養人でもある。

さて、私どもは、モーツァルトの音楽について、「ケッヘル218番」などと、分かったような事を言っているけれど、さてその作品番号を作ったケッヘルという人がいったいどういう人物であったのかということはまず知らずに過している。

ケッヘル(1800ー1877)の青春時代のオーストリアには、「ヴィーダマイヤー」と後世半ば揶揄的に称せられるライフスタイルがあった、ということを、本書に教えられた。「政治的な事柄にいっさいタッチせず小さな安逸に逃げ込む小市民」の謂いで、そのなかに多くのディレッタントが生まれ、ケッヘルはまさにその時代を代表するディレッタントであったという。だがしかし、そんじょうそこらの趣味人ではない。

ケッヘルは、カール大公家の家庭教師に任じたほどの高い学識を有していた。とりわけ、鉱物学に通暁した博物学者でもあったという。なるほど、そういうバックグラウンドがあったればこそ、モーツァルト作品の徹底蒐集・研究・分析・分類・整理が可能であったのに違いない。

本書は、そういう碩学ディレッタントたるケッヘルの伝記的事実を忠実に辿りながら、その背景となっている、当時のオーストリアやドイツの世のありさまを手堅く考証し、その潮流のなかにケッヘルを緻密に位置づけ、面白く描き出している。

しかし、これほどの労作を、こう申しては申し訳ないが、新書本という形で出したのは、いかにももったいない。もっと図版なども豊富に入れた、大冊の単行本として、私などは読ませて欲しかったのだが…。
モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン / 小宮 正安
モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン
  • 著者:小宮 正安
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2011-03-18
  • ISBN-10:4062880962
  • ISBN-13:978-4062880961
内容紹介:
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.… もっと読む
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。
誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。
ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。
しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。
ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。
なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。
1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。

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