うーむ、これはもったいない
小宮正安さんは篤学の士である。そのいっぽうで、ヨーロッパの音楽に通暁した教養人でもある。さて、私どもは、モーツァルトの音楽について、「ケッヘル218番」などと、分かったような事を言っているけれど、さてその作品番号を作ったケッヘルという人がいったいどういう人物であったのかということはまず知らずに過している。
ケッヘル(1800ー1877)の青春時代のオーストリアには、「ヴィーダマイヤー」と後世半ば揶揄的に称せられるライフスタイルがあった、ということを、本書に教えられた。「政治的な事柄にいっさいタッチせず小さな安逸に逃げ込む小市民」の謂いで、そのなかに多くのディレッタントが生まれ、ケッヘルはまさにその時代を代表するディレッタントであったという。だがしかし、そんじょうそこらの趣味人ではない。
ケッヘルは、カール大公家の家庭教師に任じたほどの高い学識を有していた。とりわけ、鉱物学に通暁した博物学者でもあったという。なるほど、そういうバックグラウンドがあったればこそ、モーツァルト作品の徹底蒐集・研究・分析・分類・整理が可能であったのに違いない。
本書は、そういう碩学ディレッタントたるケッヘルの伝記的事実を忠実に辿りながら、その背景となっている、当時のオーストリアやドイツの世のありさまを手堅く考証し、その潮流のなかにケッヘルを緻密に位置づけ、面白く描き出している。
しかし、これほどの労作を、こう申しては申し訳ないが、新書本という形で出したのは、いかにももったいない。もっと図版なども豊富に入れた、大冊の単行本として、私などは読ませて欲しかったのだが…。