書評

『本屋風情』(KADOKAWA)

  • 2018/11/30
本屋風情 / 岡 茂雄
本屋風情
  • 著者:岡 茂雄
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:文庫(304ページ)
  • 発売日:2018-10-24
  • ISBN-10:4044004226
  • ISBN-13:978-4044004224
内容紹介:
繊細で几帳面な南方熊楠、気が短く「じれる」柳田国男、舌鋒の峻烈な内田魯庵、無愛想な浜田青陵…。自らを「裏木戸の出入り人」と呼んだ本屋(出版業)しか知りえなかった、貴重な近代日本の出版… もっと読む
繊細で几帳面な南方熊楠、気が短く「じれる」柳田国男、舌鋒の峻烈な内田魯庵、無愛想な浜田青陵…。自らを「裏木戸の出入り人」と呼んだ本屋(出版業)しか知りえなかった、貴重な近代日本の出版事情がわかる回想記録。大正から昭和のはじめにかけた民俗学・文化人類学・人文地理学・言語学の黎明期、いまも読み継がれている不朽の名作を誕生させた伝説の編集者が垣間見た、学者・文人たちの知られざるもうひとつの顔。

斯界の権威にとらわれず

かつて陸軍幼年学校にはじまる軍人コースは、少年の憧れの的だった。しかし、せっかくそのコースに入ったのに、詩人三好達治や劇作家岸田国士(くにお)のように、少数ながら、そこから外れた者もいる。『本屋風情(ふぜい)』の著者、岡茂雄もそんな一人だった。こちらは本を書くのではなく、本をつくる側に転じた。人類学や考古学や民俗学の古典的名著といわれるものをよく見ると、発行・岡書院に気がつく。専門書に類するのに、なんと美しい本に仕立ててあることだろう。

また山岳書の美本に少なからず梓書房刊が見つかるはずだ。発行元は岡書院と同じところ。岡茂雄は大正末から昭和初期にかけて、出版の分野で一つの小世界をつくりあげた。そこには確固としたルールがあった。自分の目にかなうものしか本にしない。また、美しくなければ本ではない。

そんな若気のみなぎった歳月を、八十歳ちかくになって回想した。当書は四十四年前に本になり、いちどは文庫に入ったが、三十年あまり絶版だった。

南方熊楠、柳田国男、新村出、金田一京助、内田魯庵、浜田青陵、岩波茂雄、渋沢敬三。目次に見るだけでも、これだけの人々がいる。本文にうつれば、山田吉彦(きだみのる)、今和次郎、早川孝太郎、金関丈夫、折口信夫、知里真志保、松方三郎、小島烏水(うすい)、武田久吉、藤木九三、中西悟堂、内田清之助、窪田空穂、ニコライ・ネフスキー……現在ではすでに「歴史」になった人々が、生身の人間として登場する。時間はふつう不可逆であって、過去が現在にまじりこむことはない。だが、厳しく自己検証された上の回想では、過去が生々しく立ちもどってくる。天皇の御進講がきまって、「興奮の面持ち」で、手を振りまわし、足は舞い、子供のようにこおどりしている熊楠翁がいる。

ただたいへん困ったことが起こった。翁は下帯をなさらなかったようである。からだが分厚いせいか、着物の前がはだけやすいので……

回想記のたのしさは、ほほえましいエピソードがおめみえすることだ。それが歴史的人物像に、たくまざる生彩(せいさい)を与えている。

熊楠の8章に対して柳田国男にあてられたのは3章だが、おおかたの回想の背後に柳田国男がいるだろう。タイトル自体が、その人の口から出た言葉なのだ。「本屋風情とは、いかにも柳田先生持ち前の姿勢そのままの表現であり、いうまでもなく蔑辞(べつじ)として口走られたのではあるが、私にとってはまことに相応(ふさ)わしいものと思(中略)うようになっていたのである」

べつに皮肉を弄(ろう)したわけでないことは、以下回想をつづるなかで、深い敬愛をこめて語っていったことからもあきらかである。五十代の柳田国男は、新しい学問をひらくにあたっての野心もあればプライドもあった。迷いの一方で試行錯誤もあり、強さの半面で傷つきやすいところもあった。そんな複雑な陰影の人を、もののみごとにとらえている。

昭和初年の大不況、そしてとめどない出版不況のなかで、若気と使命感でつっ走ってきた小出版社が立ちいかなくなることは目に見えていた。

商道に徹することの出来なかった私は、本屋風情の資格さえなかった。

結びの言葉だが、斯界(しかい)の権威といったことにとらわれず、当時まだ正当に扱われなかった分野の学問的成果を堂々と世に問うた。みずから捨てたはずの軍人精神を、ひときわ厳しく実践したといえるのだ。
本屋風情 / 岡 茂雄
本屋風情
  • 著者:岡 茂雄
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:文庫(304ページ)
  • 発売日:2018-10-24
  • ISBN-10:4044004226
  • ISBN-13:978-4044004224
内容紹介:
繊細で几帳面な南方熊楠、気が短く「じれる」柳田国男、舌鋒の峻烈な内田魯庵、無愛想な浜田青陵…。自らを「裏木戸の出入り人」と呼んだ本屋(出版業)しか知りえなかった、貴重な近代日本の出版… もっと読む
繊細で几帳面な南方熊楠、気が短く「じれる」柳田国男、舌鋒の峻烈な内田魯庵、無愛想な浜田青陵…。自らを「裏木戸の出入り人」と呼んだ本屋(出版業)しか知りえなかった、貴重な近代日本の出版事情がわかる回想記録。大正から昭和のはじめにかけた民俗学・文化人類学・人文地理学・言語学の黎明期、いまも読み継がれている不朽の名作を誕生させた伝説の編集者が垣間見た、学者・文人たちの知られざるもうひとつの顔。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年11月11日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
池内 紀の書評/解説/選評
ページトップへ