書評
『ヒロインズ』(C.I.P.Books)
「陰の歴史」を多様に浮き彫りに
先日「ニュー・アカデミー賞」候補になった作家編の短編集を読んでいたところ、新鋭作家カット・ハワードの一篇に魅せられた。A Life of Fictions(虚構人生)という題名で、ある女性が恋人の男性作家の小説モデルになるうち、現実での実態を少しずつ千切り取られ、虚構世界に消えていってしまう話だ。そう、この一篇は、“ミューズ”と讃(たた)えられながら男性芸術家に創造的搾取を受け、彼らの陰に埋もれてきた才能ある“シェイクスピアの妹”たちの歴史を暗示するものだ。
ザンブレノの『ヒロインズ』も、そんな女性たちの「陰の歴史」を多様に浮き彫りにする、手記とも評論とも小説ともつかない強烈な魅力をもつ一冊である。
「私≒ザンブレノ」は駆け出しの作家。研究者の夫に帯同して、オハイオ州の街にやってきた。大学での職も得られず、つねに「~の妻」としか紹介されず、中編小説の出版も決まっているのに、興味をもつ人はいない。結婚による自己喪失のテーマと、モダニズム作家の狂気の妻たちに魅入られ、「私」は彼女らの言葉をなぞるように生きていく。
T・S・エリオットの妻ヴィヴィアン、ポール・ボウルズの妻ジェイン、ヘンリー・ミラーの妻ジューン、「私だって芸術家なの!」と巨大な父ジェイムズ・ジョイスに叫んだ娘ルチア……。みずから作家となった女性もいる。ヴァージニア・ウルフ、ゼルダ・フィッツジェラルド、ジーン・リース、アンナ・カヴァン、アナイス・ニン、シルヴィア・プラス……。そして抑圧された作中人物の妻たち。『ジェイン・エア』のバーサ・メイスン、『ユリシーズ』のモリー・ブルーム、ボヴァリー夫人、ダロウェイ夫人……。
神経衰弱、ノイローゼ、メランコリー、うつ、境界線パーソナリティー障害――女性の内なる不調は、その時代により便利な名前を与えられてきた。女性の本質を「狂気」と捉える父性社会、その原理に整合しないとして幽閉される女性たち。彼女らは悲運のバーサに重ねて「屋根裏の狂女」たちと名づけられたのだった。ザンブレノはここに、プラスらにも影響を与えた『黄色い壁紙』という隠れた名作を絶妙にも引いてくる。神経衰弱気味の妻は邸宅の子供部屋に軟禁され、やがて壁紙だけを凝視するようになり、その奥に何かを見始める……。ボヴァリー夫人が患っていたのは退屈などではなく、別の誰かが書いた筋書きのなかに、登場人物として、閉じこめられてしまうことだ、とザンブレノは言う。
そうした彼女たちが生き延びる手段は、書くこと。しかしミラーの妻ジューンも、愛人のアナイスも、ゼルダでさえ、パートナーの名声を凌(しの)ぐことはできなかった。
創造活動における精神的吸血(spiritual vampirism)という観点から考えてみよう。エリオットの伝記作家たちは、「吸血鬼的なのはヴィヴ(妻)のほう」で、彼女が夫の生気を吸い尽くしたと考えているという。しかしザンブレノはエリオットの高名な評論「伝統と個人の才能」から、「自分より価値の高いものに自分を明け渡すこと。芸術家の進歩とは、絶え間なき自己犠牲」という一節を鋭く引き、「芸術家とその犠牲というとき、犠牲になるのは誰か(何か)」、「吸血鬼と呼ぶのにふさわしいのは、不朽の存在になれた(夫の)ほうではないだろうか」と問いかける。
十九世紀半ば、すでにホーソーンは「書き散らす女どもの群れに押されて自分は出る幕がなくなる」と皮肉に嘆いた。百六十年余り後の、本書の内容を知ったら、驚くだろうか、安堵(あんど)するだろうか?
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