心を読むことをめぐる思索の広がり
このたび東京大学出版会より刊行された拙著『なぜ心を読みすぎるのか:みきわめと対人関係の心理学』が、2018年度日本社会心理学会出版賞を受賞した。この賞は、前年度に刊行された社会心理学に関連する書籍から選ばれるものである。社会心理学においては古典的ともいえる対人認知という話題を扱った本であるが、旧来の枠組みを超えて、新たな観点からこの領域を再構築したものとして評価いただいた。大変光栄なことだと感じている。この本の主たる論点は、対人認知の本質が「他者を道徳的な観点から評価する、みきわめの過程」であるということ、またそれが、意図、態度、特性、思考、感情など、行動を生み出すとされる他者の心の状態に関する推論に基づくということだ。
対人認知は、これまで、他者の人となりを把握する過程だと位置づけられてきた。確かに他者と共に生きるにあたっては、他者がどのような人かを知ることで、行動を予測し、それに応じて自らの振る舞いを決めることが必要となる。日常の相互作用を円滑に進めるために、私たちは他者の性格や考え方、感情状態、態度に関心を持ち、人物像を作り上げる。他者は私にとって、まずは「知るべき対象」である。
一方、拙著で焦点を当てたのは、知るべき対象としての他者ではなく「みきわめる」対象としての他者であった。私たちは、他者の発言や行動の背後にある心を読み、「善い―悪い」、「正しい―間違っている」、「正当―不当」といった道徳的な評価軸に照らし合わせて裁き分け、どう接するに価するのかを決める。これは、対人認知という過程の中に埋め込まれており、他者と私との関係を形作る。もちろん、みきわめることには、厳しいまなざしで断罪したり、人としての十全な心を認めず軽んじたりすることだけではなく、他者を善い存在であると認めたり、心のありかたに共感し、支援的な態度を向けることも含まれる。また、このようなみきわめは「お互い様」であり、社会的に交換されている。私が他者をみきわめるのと同じく、他者も私をみきわめており、多かれ少なかれ、「人の目を気にして」私たちは自らのふるまいを律する。互いに「心を読み他者をみきわめる」ことにより、社会的なふるまいや他者とのつながり方に関わるダイナミクスが生まれ、展開されていくのである。
さて、他者の心の推論、道徳的な評価、またそれらが人間関係や社会のありかたに与える影響に対する関心は、社会心理学だけのものではない。拙著は、幸いなことに、哲学・倫理学を専門とする方々からも、個人的なコメントのみならず、合評会、書評などを通して、内容についての議論をいただいた。近年、哲学的に重要な問いを実験的手法で解明しようとする、実験哲学という領域の隆盛により、哲学・倫理学と社会心理学との距離が近づきつつあることを感じている。そのような背景もあり、拙著で取り上げた心の推論、道徳的判断や行動のメカニズム・基盤についての実証研究、さらには、それらがもたらす社会的含意についての思索に関心を寄せていただいたのだろう。
そこでの議論から得たのは、さらに思索を広げていくべき方向に関する示唆である。たとえば、「読みすぎる」という推論バイアスの功罪をどう評価すべきか、心など読まずに行為がもたらした結果のみで他者を評価することを、私たちはなぜ行わないのか、互いにみきわめあうことが、社会の道徳的秩序の基盤になると言ってよいのかなどだ。いずれも、簡単に答えが得られそうにはないが、人間に対する探求に携わってきた諸分野とともに考えるべき問いと言ってよいだろう。
異なる分野が協働するためには、共に取り組むべき問いを見出し、考察を展開する交流の場が必要だが、はからずも拙著は、今回、そのような役割を少しだけでも果たしたのかもしれない…そう思うことは、大きな励みである。心を読むという、私たちにとってごく日常の、しかし社会生活に不可欠な営みをめぐって、さらに多様な研究背景を持つ方々と問いや思索を共有できれば幸いなことだと思う。
[書き手]唐沢かおり(東京大学大学院 人文社会系研究科 教授)