書評
『猫のエルは』(講談社)
猫の言語能力
町田康といえばプードルのスピンクが綴る「スピンク日記」シリーズが人気である。犬の目で見た飼い主ポチの日々。だから町田康は犬派だと思っている人もいるかもしれないが、じつは猫派でもある。雑誌「猫の手帖」連載はじめさまざまな雑誌で猫との暮らしを書いていて、「猫のよびごえ」など猫エッセイもたくさん書いている。『猫のエルは』はヒグチユウコの絵をふんだんに載せた贅沢な作品集。猫の目で見た、あるいは人間の目で猫を見た、五つの小説や詩が入っている。『告白』や『ギケイキ』とはちょっと違う町田康の世界が広がる。「諧和会議」は、言葉を話す動物たちが会議をひらく話。日本の国会のパロディーのようでもあり、ケストナーの『どうぶつ会議』のパスティーシュ(作風模倣)のようでもある。ここで議題となるのは猫の生態について。彼らが周囲の迷惑となる行為をするのは、言語を理解していないからなのか、それとも理解した上でわざとのことなのか。日ごろわたしたちが猫について抱いている疑問そのままだ。動物たちは猫の言語能力に関する調査委員会を設置するが……。
表題作は〈私の家には猫はいない/猫はいないがエルがいる〉と始める詩。最後、〈見ているだけで儲け〉のリフレインがいい。
「スピンク日記」シリーズ愛読者におすすめは、「とりあえずこのままいこう」だ。語り手の「私」は犬だったが、病気で死んでしまう。冥界から再び犬となって元の家に戻ることを希望した「私」は、手違いで猫に転生してしまうのだが……。最後の絵に涙がこぼれそうになる。
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