書評

『アインシュタイン交点』(早川書房)

  • 2019/02/07
アインシュタイン交点 / サミュエル・R. ディレイニー
アインシュタイン交点
  • 著者:サミュエル・R. ディレイニー
  • 翻訳:伊藤 典夫
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:1996-06-01
  • ISBN:4150111480
内容紹介:
遠未来の地球。人類はいずこへか消え失せ、代わりに住みついた異星生物が懸命に文明を再建しようとしていた。ロービーは人の心を音楽で奏でることができる不思議な青年。恋人の死を契機に旅に出た彼は古代のコンピュータ、ドラゴン使い、海から来た暗殺者など様々な存在との出会いを経て、世界の大いなる謎を解き明かしてゆく…幾層ものメタファーやシンボルを重ねて華麗な神話宇宙を構築し、ネビュラ賞に輝く幻の名作。

幻の名作

まいった。テレビばかり見ていてなにもできない。

まずはサッカーのヨーロッパ選手権。先月、イギリスへダービーを見に行った時、レースのスタート時間が二時二十五分なので(ふだんはだいたい三時半)「なんでや」と聞いたら、このヨーロッパ選手権の開幕戦と重なるので、時間を繰り上げたというのである。

歴史と伝統のエプソムダービーのスタート時間を変更させてしまうのだ。さすが、サッカー。

そういうわけで、帰国してからも気になって衛星中継をずっと見ていた。バレージの抜けたイタリアの守備力が落ちたのを見て悲しみ、チェコのポボルスキの脚力に驚いた。でも、最後はやっぱりクリンスマンだった!(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年前後)

それでもって、あいかわらず野茂の投げる試合は見続けねばならず(あの16対15のロッキーズ戦も)、おまけにウィンブルドンまで加わり、それで順調に消化されるならまだしも、途中雨が降って中断となり、待っている杉山愛や伊達公子はたいへんだろうけど、やはり待ってる視聴者のわたしもたいへんなのだ。だから、待機中は静かに『アインシュタイン交点』(サミュエル・R・ディレーニイ著、伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫)を読んで、心を落ちつかせていたのだった。

いま、なにげなく『アインシュタイン交点』と書いたが、これこそ、ぼくのような市井の一般SFファンにとっては「幻の名作」中の「幻の名作」てなものである。伊藤典夫の翻訳で出ると告知されてから幾星霜(じゃなくてざっと二十年、原著が出てからもおよそ三十年)。いつ出るのかと首を長くして待っていたが、なんの音沙汰もない。もちろん、原著に手を出すことも考えたが、やはり伊藤典夫の訳で読みたいと今日まで待ち続けたのである。

で、正直に感想を述べよ、といわれると困る。困るんだな、これが。

ここまで待ったんだから、超傑作! といってみたいのが人情である。

しかし。そういう言い方は、なんとなく憚られる。正確ではない。じゃあ、つまらん失敗作なのか。滅相もない。

この作品、いかにもディレーニイらしく、さまざまな仕掛けが凝らされている。まず表面は遠未来の地球の異星生物のストーリイ。しかし、その単純なストーリイの下に隠された神話とメタファー……ということになるんだろうし、それはそれで正しいのだが、なんかこうスッキリしないんだな。

伊藤典夫はこう書いている。

一九七一年の六月のことである。ある夜ぼくは、長いこと気になっていた『アインシュタイン交点』の再読をはじめた。……。ただし今度は、いままでにやったことのない方法を取った。……、メリルのことばに従って、これを「今この瞬間、この世界で起こっていることの物語」として読み替えていくことにしたのだ。

かくして、伊藤典夫はジャンルSFの外見の下に隠された「現在形の物語」を発見する。

さて、ぼくはこの『アインシュタイン交点』を読みながら、ほんとにうんざりするぐらい「六〇年代的」だと思ったのだった。夥しい引用、そして引用される作家や詩人の名前、作者の日記、その中の考え方。「前衛」がまだ生きて立派に機能していた頃。

若いねえ。そして、ちょっと恥ずかしいねえ。やはり素性がどこか「六〇年代的」なぼくはそう思ってしまうのだった。うーん、懐かしいなあ。さあ、今晩は伊達対グラフだ!



【この書評が収録されている書籍】
いざとなりゃ本ぐらい読むわよ / 高橋 源一郎
いざとなりゃ本ぐらい読むわよ
  • 著者:高橋 源一郎
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:1997-10-00
  • ASIN: 4022571926
内容紹介:
どんな本にも謎がある。世界一の文学探偵タカハシさんが読み解く本の事件簿、遂に登場。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

アインシュタイン交点 / サミュエル・R. ディレイニー
アインシュタイン交点
  • 著者:サミュエル・R. ディレイニー
  • 翻訳:伊藤 典夫
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:1996-06-01
  • ISBN:4150111480
内容紹介:
遠未来の地球。人類はいずこへか消え失せ、代わりに住みついた異星生物が懸命に文明を再建しようとしていた。ロービーは人の心を音楽で奏でることができる不思議な青年。恋人の死を契機に旅に出た彼は古代のコンピュータ、ドラゴン使い、海から来た暗殺者など様々な存在との出会いを経て、世界の大いなる謎を解き明かしてゆく…幾層ものメタファーやシンボルを重ねて華麗な神話宇宙を構築し、ネビュラ賞に輝く幻の名作。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1993年10月15日~1996年8月30日

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