名セリフの記憶、絵と文でつづる映画遍歴
名著中の名著、和田誠の映画エッセイ『お楽しみはこれからだ』が、判型はそのままで、函入りの愛蔵版として復刊された。これほど喜ばしいことはない。元本が文藝春秋から刊行されたのは一九七五年のことだったが、この年号に意味がある。というのも、その年に家庭用ビデオ規格が開発され、たちまちのうちに、家庭のビデオデッキで映画を録画や再生して楽しむ時代が到来したのである。つまり、ビデオ時代の前は、映画についてものを書こうと思うと、記憶に頼らざるをえなかった。
「映画の中に出てきた名セリフ、名文句を記憶の中から掘り起こして、ついでに絵を描いていこうと思う」と『キネマ旬報』誌で連載を始めた和田誠は、次のようにも言っている。「記憶だけに頼ってこれを書いているのだから、思い違いということがあったり、年月の間に記憶の中で変形したりして、多少は間違っていることもあるかも知れない。これは決して資料ではなく、ぼくの映画遍歴をひとつのやり方で綴っているにすぎないのだ」
そう和田誠は謙遜しているが、よくこれだけのセリフを憶えているものだと読者は驚くだろう。そこには、映像だけが映画ではなく、セリフもまた映画の大切な要素だと信じ、字幕にも目を凝らしてきた、和田誠の圧倒的な映画体験がある。べつに記憶力の問題ではない。映画が好きでたまらないから、自然にセリフも頭の中に残ってくるのだ。なるほどたしかに、和田誠にも思い違いはある。しかし本書を愛する読者なら、きっと「完全な人間はいない」とつぶやきたくなるはずだ。
わたしは元本が出た年に本書を買った。その頃、映画に夢中になりだしたわたしにとって、『お楽しみはこれからだ』は文字どおり映画の教科書になった。わたしは観た映画の題名を赤いマーカーで塗り、さらに和田誠の挿絵の下に細かい字でその映画の感想を書き込んだ。そうして、自分の映画体験を和田誠の映画体験に重ね合わせていった。その書き込みだらけの元本をいま開いてみると、ゆうべどこにいたかといった昔のことは憶えていないわたしでも、『カサブランカ』を初めて観たときの記憶と一緒に、この本の虜(とりこ)になった記憶がよみがえってくる。
本書でいちばん好きな個所(かしょ)を挙げよう。往年の名画、ジュリアン・デュヴィヴィエの『舞踏会の手帖』から。ヒロインが、二十年前に初めて舞踏会に出たときに踊った男たちの一人と再会する。いまは神父となっているその男の言葉、「私の記憶がいいことと、あなたが変らないことを神に感謝します」を引いてから、和田誠はこう付け加える。「ぼくの記憶力はそれほどよくもないけれど、こういう名画を憶えていることと、再び観たときの感動が変らなかったことを神に感謝します、と言いましょう」
わたしも和田誠にならって、こういう名著中の名著を憶えていることと、それをもう一度、愛蔵版として読んだときの感動が変わらなかったことを、神に感謝したくなる。
なお、この復刊はまだ続き、PART2からPART7まで、全7巻の刊行が予告されている。そう、まさしく、お楽しみはこれからだ。