書評
『殺人者たちの午後』(新潮社)
読み終えて、少し物足りない気がした。だが、物足りなさの理由を探っていくうちにじわじわと、そう思わせてしまうことにこそ、この本の凄みが潜んでいるように思われてきた。
本書は、殺人者十人へのインタビューを編んだものだ。最大の特徴は、殺人を犯した心理よりも、終身刑を宣告されたあとで、殺人者たちが何を思いどのように生きているかに焦点を当てたことにある。原題は『Life after Life』。「Life」には「終身刑」という意味もあるのだ。
著者のトニー・パーカー(一九九六年に死去)は、本国イギリスでは「オーラル・ヒストリアン」として知られている。要は「聞き書き」だが、文献には残りにくい個人の経験を記録する方法として、近年、歴史学などにおいても重要視されている。ただしパーカー自身はアカデミックに評価されるか否かなどどうでもいいと考えていたそうだ。
すべてのインタビューは、殺人者が語った言葉だけで構成されている。彼らの佇(たたず)まいや置かれている状況を説明する描写がわずかにト書きのように添えられているものの、インタビュアーは黒衣に徹している。質問もオウム返しされる言葉として顔を出すに留まる。疑問や意見、反論などを差し挟んだ形跡もうかがえない。訳者は「耳を澄ます」と表現しているが、殺人者たちが自発的に話しだす状況をつくり、こぼれてきた言葉を記録しているのである。
これはある意味では最上級に難しい作業だ。さあどうぞといって、触れられたくない傷をペラペラしゃべる人などまずいない。まして相手は殺人者である。築かねばならない信頼の高さを思うと気が遠くなる。
そんな困難を乗り越え得られた告白は、だが、かならずしも衝撃的ではない。
イギリスに死刑はなく、終身刑は生涯つきまとう。仮釈放はあっても罪自体は決して取り消されない。就職するにも恋人をつくるにも自分の罪を包み隠さず告げなければならない。外国へも行けないし、ちょっとしたトラブルでも刑務所に逆戻りさせられる。
自由が永久に失われた宣告以後の人生のなかで、無限に反復される呵責(かしゃく)にさらされた殺人者たちは、絶望にそれぞれの仕方で対峙(たいじ)しようとする。それらの葛藤(かっとう)に想像を大きく逸脱するところはない。殺人にいたった心理にしても、浅薄さや短絡ぶりに嘆息することはあるにせよ、理解を超えるケースはむしろ例外的だ。
殺人者の内面がわかりすぎること。物足りないと思ったのはそのせいなのだが、次第に暗い恐怖に変わっていった。別に「自分も殺人を犯しかねない」と怖れたのではない。ある殺人者は自身の虚無を指し「胸にでっかい穴ぼこがあいている」と形容した。なんとありきたりか。彼の絶望や虚無はそんな紋切り型で掬(すく)い取れるものではあるまい。では言葉を飾れば肉薄できるのか。言葉を尽くしてもそれはついに表現されえないものであることを、パーカーの丹念な聞き書きは逆説的に表現しているのではないか。その果てしなさに私は恐怖したのである。
本書は、殺人者十人へのインタビューを編んだものだ。最大の特徴は、殺人を犯した心理よりも、終身刑を宣告されたあとで、殺人者たちが何を思いどのように生きているかに焦点を当てたことにある。原題は『Life after Life』。「Life」には「終身刑」という意味もあるのだ。
著者のトニー・パーカー(一九九六年に死去)は、本国イギリスでは「オーラル・ヒストリアン」として知られている。要は「聞き書き」だが、文献には残りにくい個人の経験を記録する方法として、近年、歴史学などにおいても重要視されている。ただしパーカー自身はアカデミックに評価されるか否かなどどうでもいいと考えていたそうだ。
すべてのインタビューは、殺人者が語った言葉だけで構成されている。彼らの佇(たたず)まいや置かれている状況を説明する描写がわずかにト書きのように添えられているものの、インタビュアーは黒衣に徹している。質問もオウム返しされる言葉として顔を出すに留まる。疑問や意見、反論などを差し挟んだ形跡もうかがえない。訳者は「耳を澄ます」と表現しているが、殺人者たちが自発的に話しだす状況をつくり、こぼれてきた言葉を記録しているのである。
これはある意味では最上級に難しい作業だ。さあどうぞといって、触れられたくない傷をペラペラしゃべる人などまずいない。まして相手は殺人者である。築かねばならない信頼の高さを思うと気が遠くなる。
そんな困難を乗り越え得られた告白は、だが、かならずしも衝撃的ではない。
イギリスに死刑はなく、終身刑は生涯つきまとう。仮釈放はあっても罪自体は決して取り消されない。就職するにも恋人をつくるにも自分の罪を包み隠さず告げなければならない。外国へも行けないし、ちょっとしたトラブルでも刑務所に逆戻りさせられる。
自由が永久に失われた宣告以後の人生のなかで、無限に反復される呵責(かしゃく)にさらされた殺人者たちは、絶望にそれぞれの仕方で対峙(たいじ)しようとする。それらの葛藤(かっとう)に想像を大きく逸脱するところはない。殺人にいたった心理にしても、浅薄さや短絡ぶりに嘆息することはあるにせよ、理解を超えるケースはむしろ例外的だ。
殺人者の内面がわかりすぎること。物足りないと思ったのはそのせいなのだが、次第に暗い恐怖に変わっていった。別に「自分も殺人を犯しかねない」と怖れたのではない。ある殺人者は自身の虚無を指し「胸にでっかい穴ぼこがあいている」と形容した。なんとありきたりか。彼の絶望や虚無はそんな紋切り型で掬(すく)い取れるものではあるまい。では言葉を飾れば肉薄できるのか。言葉を尽くしてもそれはついに表現されえないものであることを、パーカーの丹念な聞き書きは逆説的に表現しているのではないか。その果てしなさに私は恐怖したのである。
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