書評

『ウィステリアと三人の女たち』(新潮社)

  • 2019/04/03
ウィステリアと三人の女たち / 川上 未映子
ウィステリアと三人の女たち
  • 著者:川上 未映子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(177ページ)
  • 発売日:2018-03-30
  • ISBN-10:4103256257
  • ISBN-13:978-4103256250
内容紹介:
同窓会で、女子寮で、デパートで、廃墟になった館で――。苦闘する女たちに訪れる、ささやかだけど確かな救い。奇跡のごとき傑作集!

滴り落ちる沈黙、闇、そして光

……わたし、孤独に打ちのめされたわたしは、一滴また一滴と沈黙が滴り落ちるにまかせる。ところが、いま、沈黙はわたしの顔にぽつぽつと穴をあけ、鼻を溶かしていく、雨の庭に立つ雪だるまのように。沈黙が落ちてきて、わたしはすっかり融け、目鼻もなくして、他とほとんど区別がつかなくなる。かまうものか。それがどうした?
――ヴァージニア・ウルフ『波』

川上未映子の最新作品集『ウィステリアと三人の女たち』は、いろいろな意味において、九十年近く前(一九三一年)に発表されたヴァージニア・ウルフの『波』の川上未映子流二十一世紀版と言えるかもしれない。

前世紀の前葉に、『自分だけの部屋』で女性の創作活動と自立について書き、男性と結婚しながら女性作家とも恋人関係にあった、ウルフ。『ウィステリアと三人の女たち』の四編はどれも、女性が語り手か主人公の立場にあり、女性同士の関係が記されている。男性はほとんど出てこない。

とはいえ、このイギリス作家と、彼女の技巧を最高度に駆使した傑作を引き合いに出したのは、そのためだけではない。

『ウィステリアと三人の女たち』のなかでも、表題作のエピファニックな文体、これは見紛いようがないだろう。作者の新たな試みであり、ひょっとしたらウルフヘの挑戦状でもあり、川上未映子文学における最高作でもある。

先に本作の内容を要約しておくと、結婚九年になる夫婦宅のはす向かいに立つ、百坪もありそうな屋敷の取り壊しが始まる。夫婦は不妊治療の件で考えがすれ違い、セックスレスになっているようす。家の解体工事はなぜか途絶し、主人公の「わたし」はその工事現場で、やけに腕の長い(指先が膝ぐらいまである)女性に出会い、彼女があちこちの空き家に夜中、忍びこんでいるという奇妙な話を聞く。この女性が何者なのか、なぜそんな行為を繰り返しているのかは、最後まで明らかにされない。「わたし」はある夜、向かいの廃屋を訪れ、ここに独りで暮らしていた老女の生涯を思い描く。屋敷の門には、英語教室の古びた看板が出ており、その昔は外国人教師とふたりで教えていたようなのだ。老女はこの女性教師に恋をしたのではないか……。

本編には、ウルフヘの直接的な言及があり、さらに『波』からの引用もなされている(冒頭引用の一部)が、わたしは初めから、こうしたウルフの刻印があることを知って読み進めていたわけではない。途中、描写にいたく惹きつけられて、鉛筆でぐりぐりと線を引いた箇所がいくつもある。以下のようなところだ。

夜の暗さも、ぼうぼうと鳴る風の音も、ときおり低く唸る雷の響きも、雨の音も、そして雨も、すべてが半分壊されて剥きだしになったあの家の傷口から流れだしているような気がした。……何かに追われながら何かを目指す群衆のように、水は黒々と脈打ちながらわたしの顔の上を流れていった。

まるで寝静まった獰猛な生き物のすぐそばを通り抜けるように息を殺し、わたしは少しずつ前進した。……わたしと家のあいだにある瓦礫をのせた暗い庭は少しずつ拡大しながら、わたしを小さくしていくようだった。

……家具も、誰の息遣いもなく、暗闇以外は何もない部屋。

暗闇と自分自身の境目がだんだん曖昧になっていった。そこでは上下する腹部の感覚だけが、この部屋の暗闇とわたし自身を区別するものだった。

こうした卓抜な描写に唸った後に、ウルフヘの言及に出会い、繊細かつ絶妙なオマージュに気づいた次第である。

本作は話法もすばらしい。「わたし」の一人称語りだが、暗闇で老女の生涯を「~ではないか」と想像する部分は、いつのまにか三人称の語りに変わり、そのなかでさらに、暗闇に横たわる老女の夢想へと入りこんだり、外国人教師の独白になったりする。「わたし」はウィステリア(藤)の花びらに包まれて、老女とひとつに融けあうように……。

腕の長い女性が口にするこんな言葉がある。

それが壊す側のものなのか、壊されるほうのものなのかはわからないけど……とにかくそこにはつもりのようなものがあって、それが聴こえるわけです。ただ壊れていくことと、壊されるということは、別のことなんです。

「わたし」の結婚生活は具体的に描かれていないが、確実にこの女性は、夫の不実やモラルハラスメントに「壊されてきた」のだ。女性がなんらかの形で損ねられ、壊されてきたことを暗示する記述は、他の編にもある。なんらかの理由でサナトリウムのような女子寮に入った「マリー」がルームメイトの女性とつきあう「マリーの愛の証明」には、夜中、若いマリーの身体に触りにきた者の存在が仄めかされる。おそらく、それは抑圧的な父親だろう。

あるいは、「彼女と彼女の記憶について」にも、性的な支配関係が顔をのぞかせる。高校卒業後、女優になったらしき「わたし」が田舎町の同窓会に出席すると、いきなり謎の「箱」を突きつけられるように、ひとりの元同級生によって、ある人との関係の記憶を呼び覚まされる。

各編のどこかに、「限りなく自死に近い」死や、遺体がひどく損なわれた孤独死が影をおとしている。

この元同級生や、先述の腕の長い女性など、忘れたはずの記憶や、封じこめている何か――心の彼岸へと主人公たちをいざなう不思議な存在がときおり出てくる。それは、救済者だろうか、呵責者だろうか。

本書の女性たちは、こんなふうに言う。

(その記憶の箱は)自分の外側にしかない。

記憶というのはどこか、たとえば世界のほうにあって。

何かを思いだせるなら、それは起きてるのとおなじこと。

思い出って、ほら、誰のものでもないからさ。

記憶というのは、暴君だ。自分でどうにかできるものではない。そんな記憶の儘ならなさ、制御不能さ、無慈悲さにいたぶられながら、女性たちはそこに新たな光を求める。暗い部屋の小さな窓に目をこらす。どんな窓からでも、か細い光はかならず射すはずだから。
ウィステリアと三人の女たち / 川上 未映子
ウィステリアと三人の女たち
  • 著者:川上 未映子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(177ページ)
  • 発売日:2018-03-30
  • ISBN-10:4103256257
  • ISBN-13:978-4103256250
内容紹介:
同窓会で、女子寮で、デパートで、廃墟になった館で――。苦闘する女たちに訪れる、ささやかだけど確かな救い。奇跡のごとき傑作集!

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