書評

『カフカのように孤独に』(平凡社)

  • 2020/01/01
カフカのように孤独に / マルト・ロベール
カフカのように孤独に
  • 著者:マルト・ロベール
  • 翻訳:東 宏治
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:新書(448ページ)
  • 発売日:1998-10-01
  • ISBN-10:4582762654
  • ISBN-13:978-4582762655
内容紹介:
カフカは笑った。「私は孤独です…フランツ・カフカのように。」 その人生をカフカ自身の言葉に即して丹念に辿り直す伝記的研究に、作家の技法と作品の研究を加えた。人文書院1985年刊の再刊。
この本はカフカの文学をとりまく環境を、けれん味のない正攻法で抑えようとした地道な研究だとおもう。文学の環境は、作品と作者に分割される。そして分割の中間に作品と作者とが滲透しあって玉虫色にぼかされた領域がひろがる。この本の著者は強いていえばこの玉虫色の領域に身をおいて、作品と作者としてのカフカの根拠ともいうべきものの発生源に、緻密な眼を注いでいる。

著者によれば、旧オーストリア・ハンガリアニ重帝国下の街プラハ、つまりカフカが、少数派の住民である裕福なユダヤ人の商家に生れ、育ち、強大な父の下で文学を形成した環境は、それ自体が迷路に似ていた。理路のうえからはオーストリアに属し、そこで流通している支配階級の国語はドイツ語であり、街の人口の大多数はチェコ語あるいはイディッシュ語を喋言(しゃべ)っている。そのなかで少数派だったユダヤ人の商家に生れたカフカにとって、家庭の環境からいえば、教養としてドイツ語を自在にあやつって生活していた。同時にそれは少数派のユダヤ人の在り方として、大多数のチェコ語を喋言るチェコ人の住民からは反感をもたれていた。文学の環境としていえばこれだけ複雑な言葉の磁場で、ドイツ語で作品を表現しなければならなかったカフカの文学は、もうそれ自体が迷路の恐怖にじっと耐えながら、どこにとどくかわからない信号を発信しつづけているようなものである。

この本の著者が、なによりもまず着眼したのはこの言語環境の迷路だった。著者によればカフカをとりまくこの環境は、ユダヤ人としてのカフカを囲むシオニズムに還元してもいけない。またチェコ語あるいはイディッシュ語の環境に囲まれたなかでの、少数派の教養人のドイツ語の文学の問題に還元してもいけない。もちろんたんに支配階級の国語であるドイツ語で作品を書いた地元チェコ人の文学作品に還元してもいけない。そういう還元はすべて事態の単純化なのだ。もうひとつそれ以上に、カフカ自身が「父への手紙」のなかで語っているような、強大な父の磁力線からわが身の環境をひき離そうとするモチーフだけに還元しても、カフカを明確にしたことにはならない。

カフカ自身は、じぶんにとってこの世界はじぶんを強大な暴君である父ヘルマン・カフカとが関わりあい、縺れている世界、父だけの世界、そしてわずかに残された父の影の射さない世界、この三つに分けられてしまうものだった。そして父の影の射さない世界を求め、そこへ脱出するための唯一の至上の方策として、じぶんの文学的営為があるとかんがえていた。だがこの本の著者はカフカ自身によって規定されたこのカフカの文学の性格づけを、外在的な環境を欠いた内在性としてしりぞけている。カフカ自身、あるいはカフカの文学作品自体が、真空のなかに浮びあがった孤島のような錯誤の内在性によって産み出され、またその錯誤がなければ源泉が涸れてしまうようにして形成されたものなのだ。だがほんとうはカフカ自身が規定したかったような真空のなかの内在性は存在していない。内在性自体が地べたと言語と人種が比類のないほど複雑な磁場を形成している環境という外在性を抜きにしては成立しなかった。これが丁寧な手続きを経てこの本の著者が主張していることのように思われる。

著者によれば、カフカの作品に主人公のように登場する記号の人「K」は、カフカの作品に意識的にユダヤ人がひとりも登場しなかったことと、いわば地下道を通じてつながっている。カフカの小説の匿名性は、作品の人物が任意な抽象性としてはじめて生きいきと存在しているという、孤島の内在性を表示するのではなくて、抑圧されたユダヤ名前を暗示するものなのだ。また強いていえば、抑圧されたチェコ語やイディッシュ語の無形のしるしであり、また父に抑圧された息子カフカのひそかに息を呑んでいる姿のしるしなのだ。そこでは聞きようによっては《ぼくは一体何者か?》というカフカの自問自答するメインテーマの声が、しゃがれた抑圧された音調で聴えてくる。この本の著者は、決して新しい視点を披瀝しようとしているわけではない。また鋭い理念によって、カフカの文学と環境を輪切りにし、その劈開面を展示して、「ほらどこをどう切っても、金太郎飴みたいにおなじ顔が出てくるだろう」と誇示しているわけでもない。だがカフカの文学をとりまく民族語と人種と土地の複雑な迷路を、たんねんに摘出し、その跡をたどり、迷いそうになる路の分岐点では立ちどまって、なぜこの方向をたどることがいいかを説き明かしながら、われわれには到底つきとめられない微差異を、つぎつぎに浮き彫りにしてゆく。

もうひとつ、カフカの作品に繰り返しあらわれる、あの到達不可能の感じ。いまたどっているこの思考と行為が、あの求めているあそこへ到達できるのだろうかという恐怖と不安の感じ。この本の著者は、カフカの作品が告訴してくるあの不可能性の感じを、カフカをめぐるプラハの街の裕福なユダヤ人商家の日常語と人種と支配環境の錯誤した迷路の感じと「同型」なものとみなしている。著者の深い思い入れの言葉を使えば「生きた話し言葉(パロール)に深く愛着し、本物らしさということを気にかける作家にとって、プラハはまさに病気そのものなのだ」に象徴されるようなエリートだけが使うドイツ語をユダヤ人として使い、民衆ドイツ語などどこにも存在しない街で、民衆はチェコ語あるいはイディッシュ語を喋言り、しかも富んだユダヤ人という少数派の場として、はじめてドイツ語を使っていたカフカ家の申し子といったカフカ文学の環境は、わたしの知っているかぎりこの本の著者によって、はじめて詳細に解きほぐされている。

【この書評が収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

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カフカのように孤独に / マルト・ロベール
カフカのように孤独に
  • 著者:マルト・ロベール
  • 翻訳:東 宏治
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:新書(448ページ)
  • 発売日:1998-10-01
  • ISBN-10:4582762654
  • ISBN-13:978-4582762655
内容紹介:
カフカは笑った。「私は孤独です…フランツ・カフカのように。」 その人生をカフカ自身の言葉に即して丹念に辿り直す伝記的研究に、作家の技法と作品の研究を加えた。人文書院1985年刊の再刊。

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初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1985年7月

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