書評

『地下世界―イメージの変容・表象・寓意』(平凡社)

  • 2023/02/21
地下世界―イメージの変容・表象・寓意 / ロザリンド・ウィリアムズ
地下世界―イメージの変容・表象・寓意
  • 著者:ロザリンド・ウィリアムズ
  • 翻訳:市場泰男
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(357ページ)
  • ISBN-10:4582744206
  • ISBN-13:978-4582744200
内容紹介:
自然を追放した社会へのメッセージ、そこは光あふれる人工のパラダイスなのか、それとも退化と圧制の暗黒なのか。空想と現実のコントラストの中に、来たるべき未来の予兆を読み解く。
世の中には自分と同じような姿形の人間が三人いると言われるが、全然関係のないところで同じようなことを考えている人間というのも、二人か三人はいるものらしい。

高山宏氏や富島美子氏などによって紹介され、一部で関心を呼んでいたロザリンド・ウィリアムズの『地下世界』が翻訳されたが、読んでみてびっくりした。というのも、これは私が書いたとしか思えない本だったからである。一九八七年に出した『「レ・ミゼラブル」百六景』(文藝春秋)の中で私はユゴーの社会のイメージについてこう書いた。

社会を、宗教、政治、哲学などの坑道が縦横に走った一つの鉱山のようなものと考えたとき、それら上部の坑道よりもはるか下に、一切光の差し込まぬ奈落のような悪の地下壕がある。この穴倉のなかを這(は)い回っている野獣のような人間たちは自己の欲望の充足だけを求め、上層にあるすべての坑道を激しく憎んでいる。(……)十九世紀の文学者や思想家が心に描いていた社会のイメージは、マルクスのブルジョワとプロレタリア、フロイトの意識と無意識あるいは自我とエス、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』に登場する地上人と地底人といったぐあいに、階層の底辺に潜む人間の本源的な欲望が上層を脅かすという点で、いずれもユゴーの社会モデルとよく似ている。

ところで、一九九〇年に原書が出た『地下世界』でウィリアムズは、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の同じ箇所に触れたあと、次のように述べる。

ユゴーと同時代のカール・マルクスは、ユゴーよりさらにラディカルに、表面下の歴史のほうが優位にあると主張した。(……)ジークムント・フロイトにとっても、地下の隠喩(いんゆ)は中心的なものだ。超自我(スーパーエゴ)、自我(エゴ)、イドは精神を構成する層である。(……)マルクスと同じようにフロイトの場合でも、埋もれた層(無意識)の組成やそれと表面現象(意識)との関係は論争の的になっているが、ここでも埋もれた層が優位にあることは議論の余地がない。

また、ウェルズの『タイム・マシン』のエロイ人(地上人)とモーロック人(地底人)は、もちろん彼女の『地下世界』のライトモチーフの一つである。ようするに、私の思い付きとウィリアムズの論点はまさにぴったりと一致しているのである。

といっても、私はなにも、アイディアの領有権を主張しようなどといっているのではない。そうではなく、文学作品(テクスト)を同時代の社会の広い情況(コンテクスト)の中に送り返し、その情況の発する兆候の一つとして文学作品を読み取ろうとする姿勢をもつならば、誰しもが、その社会の特徴的な布置に気づくものだという感慨を抱いているのである。そしてさすがに、ロザリンド・ウィリアムズは、テクノロジーの変化と文化の変化の関連を専門とするMIT出身の才媛だけあって、私などには思いもよらぬ展開を見せてくれている。

十九世紀は、とにかくいたるところで地下へ地下へと穴を掘りすすんでいった時代だったとウィリアムズは主張する。まず、石炭や鉄鉱を掘り出すための鉱山、そして、地質学的、博物学的、歴史学的な発掘、さらに、鉄道や地下鉄を敷設するためのトンネル掘りや地下道の建設などなど、人々は、オブセッションにつかれたように地下の世界を発見していった。もちろん、こうした地下への掘り下げは、なんらかの実利的目的で行われたわけだが、それはたんに、フィジカルな世界を地下へと拡大するだけにはとどまらなかった。いいかえれば、地下の世界を掘り出すという作業はメタフィジカルな次元を持つようになり、「地下のかくされた領域に真実をみつけようとする神話的探求の、現代版だとみられたのだ。その結果、発掘は近代の知的研究をさす最も重要な隠喩になった」。いいかえれば、地底ふかく穿(うが)たれた坑道や、トロイの遺跡やツタンカーメンの墓の発掘が、十九世紀の人々のイメージに刻印を押し、隠された真実や原因を探すために地下世界へとおりてゆくという想像力のパターンを決定づけたのである。

ウィリアムズは、このテーゼを例証するために、先にあげたユゴー、マルクス、フロイト、ウェルズなどのほかにソシュール、ベーコン、コナン・ドイル、ジュール・ヴェルヌ、フォースター、ブルワー=リットン、ディッケンズ、リラダンなどの理論や小説を幅広く取り上げ説得力のある議論を展開していくが、その一方で、これらの小説家や思想家たちの描きだした地下世界のイメージの性格をも摘出する。すなわち、かれらは、地下世界という新しい環境の情緒的な力を表現するために、「醜さから崇高さへ、そしてさらに魔術的な美へ」という具合に新しい美の概念を発明したというのである。この場合、崇高さというのは、たとえば、火山口や鐘乳洞(しょうにゅうどう)などの自然の地下の驚異を距離をおいて眺めたときに感じる畏怖(いふ)であるが、やがて、これは地下世界を照らす照明源が炎から電気に移るとき、質的な変化を遂げるという。

崇高な地下世界と魔術的な地下世界をへだてる重要なちがいは、照明の質にある。前者を特徴づけるのは下からめらめら上がる夜の炎だが、後者を特徴づけるのは多数の目にふれない光源が放出する神秘的な輝きである。

もっとも、人間の想像力は実際の電気照明の発明を待ってはいなかった。ピラネージの「空想の牢獄(ろうごく)」やブルワー=リットンの『来るべき種族』、ヴェルヌの『黒いインド諸国』などは電気の発明以前に電気で照らされた地下世界を描き出し、どこまでも級数的につづく「人造の無限大」という魔術的効果をつくりだしたのである。このように想像力の質の変化とテクノロジーの変化の相互干渉という面に注目するとき、ウィリアムズの筆はもっとも冴えわたる。これに対し、地下世界のような閉じられた人工的な空間で人類があらゆる危険から隔離された場合に、しかもその進歩が、社会革命を経ずして達成されたなら、そうした進歩はかならずや人類の退化を招くというイメージを『タイム・マシン』や『来るべき種族』から拾いだしてくる第五章「地下社会における退化と反抗」は、テクノロジーという面からの支えがなかったせいか、説得力がいまひとつ足りない。私が著者だったら、ここでアラン・コルバンなどが展開している公衆衛生学的なオブセッションという補助線を導入してみるところである。これは第六章の「社会的地下世界への旅」についても言える。

しかし、こうした弱点はあるにしても、本書はテクノロジーの進歩と想像力が相互干渉して、社会についてのあたらしいイメージをつくりだすという、画期的な観点を打ち出したという点で、エピステモロジーの研究に大きな足跡を残す力作であり、今後、あらゆる分野で基本的な参照図書となるにちがいない。

なお、訳文はよくこなれた読みやすい文章になっているが、ホルへ=ルイス・ボルヘスをジョルジュ=ルイ・ボルジュとしたり、定訳のあるユイスマンスの『さかしま』を『反対に』とするなど、固有名詞の扱いに多少無神経なところが見受けられたのは残念。筆者自身もよくこうしたヘマをやってしまうのだが、自戒の意味もこめて、固有名詞には注意を、と呼びかけておこう。

【この書評が収録されている書籍】
歴史の風 書物の帆  / 鹿島 茂
歴史の風 書物の帆
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2009-06-05
  • ISBN-10:4094084010
  • ISBN-13:978-4094084016
内容紹介:
作家、仏文学者、大学教授と多彩な顔を持ち、稀代の古書コレクターとしても名高い著者による、「読むこと」への愛に満ちた書評集。全七章は「好奇心全開、文化史の競演」「至福の瞬間、伝記・… もっと読む
作家、仏文学者、大学教授と多彩な顔を持ち、稀代の古書コレクターとしても名高い著者による、「読むこと」への愛に満ちた書評集。全七章は「好奇心全開、文化史の競演」「至福の瞬間、伝記・自伝・旅行記」「パリのアウラ」他、各ジャンルごとに構成され、専門分野であるフランス関連書籍はもとより、歴史、哲学、文化など、多岐にわたる分野を自在に横断、読書の美味を味わい尽くす。圧倒的な知の埋蔵量を感じさせながらも、ユーモアあふれる達意の文章で綴られた読書人待望の一冊。文庫版特別企画として巻末にインタビュー「おたくの穴」を収録した。

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地下世界―イメージの変容・表象・寓意 / ロザリンド・ウィリアムズ
地下世界―イメージの変容・表象・寓意
  • 著者:ロザリンド・ウィリアムズ
  • 翻訳:市場泰男
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(357ページ)
  • ISBN-10:4582744206
  • ISBN-13:978-4582744200
内容紹介:
自然を追放した社会へのメッセージ、そこは光あふれる人工のパラダイスなのか、それとも退化と圧制の暗黒なのか。空想と現実のコントラストの中に、来たるべき未来の予兆を読み解く。

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初出メディア

太陽(終刊)

太陽(終刊) 1993年1月

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