書評

『文学の皮膚―ホモ・エステティクス』(白水社)

  • 2023/05/12
文学の皮膚―ホモ・エステティクス / 谷川 渥
文学の皮膚―ホモ・エステティクス
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(200ページ)
  • ISBN-10:4560046190
  • ISBN-13:978-4560046197
内容紹介:
女の肌、影、分身、逆ピグマリオニズム、肉体、ドン・ファン、デカダンス、肖像をモチーフとして、谷崎潤一郎、梶井基次郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房、キルケゴール、ユイスマンス、ワイルドのテクストに「ホモ・エステティクス(美的人間)」の諸相を探る。異色の作家・作品論でもある。

表層としての深み

谷崎潤一郎、梶井基次郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房、キルケゴール、ユイスマンス、オスカー・ワイルド。彼らの作品に表層の極みである「皮膚」への眼差しを追い、それが「美的人間」の重要な一面であることを解き明かしていく谷川渥『文学の皮膚――ホモ・エステティクス』は、学術的な知を乱用した美学書でもなければ、主題論的な分析に頼った作品論、作家論でもない、平衡感覚にすぐれた書物である。

その妙味はまず構成にある。副題に追いやられてはいるものの、むしろこちらが根幹となるはずの「ホモ・エステティクス」の定義は、日本の作家を取り扱った各論としての「皮膚論」をひととおり読み終えた段階で、つまり「誘惑者の論理」と題されたキルケゴールの「ドン・ファン論」ではじめてなされており、読者はいきなり抽象的な言葉の羅列を押しつけられることなく、文学における「美的人間」の諸相をたどりつつ摑みえた具体的な感触を徐々に整理できるのだ。

しかし表題に選ばれた冒頭の谷崎論は、やはり一種のマニフェストと受け取りうる力を備えている。「美」も「距離」も「形」も関与しない、ひたすら「質料性」にのみかかわる谷崎の皮膚感覚が、西洋人の持つ白い肌への盲目的な拝跪からやがて「濁りを含んだ浅黒い皮膚のつや」に対する愛へと変質していく過程を押さえたうえで、著者はそれを、『陰翳礼讃』の「唐紙や和紙の肌理」の相違に、もっと正確には「光線を撥ね返すやうな趣」を特徴とする西洋の紙の白さと「柔かい初雪のやうに、ふつくらと光線を中へ吸ひ取る」和紙の白さのずれに接続し、この卓抜な文化論の背後に徹底した表層への、「肌」への執着があったと指摘する。谷崎のフェティシズムの微妙な捻れを鮮やかに炙りだして出色の一文である。

その後も、生のなかに忍び込んだ死が「影」として、「分身」として風景のなかで実体化する梶井基次郎の世界、死んでいない女を死んだ女のように見、生きているとも死んでいるともいえない曖昧な領域に女を閉じこめて「人形」化させる川端康成の「逆ピグマリオニズム」など、刺激的な論考が重ねられていくのだが、要となるのは、やはり三島由紀夫の肉体をめぐる第Ⅳ章「薔薇と林檎」である。内部と外部の境界を崩壊させ、表面の、襞の魅惑に抗し得なかった人物の筆頭として三島が召喚されるのだ。三島の次のような述懐は、ほとんど本書のモチーフといっても過言ではない。

内側と外側、たとえば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、この考へがどうして非人間的に見えてくるのであらうか?

衣装だけで、表層だけで内側を表現するこの徹底した自己演出の道を歩んだのが、「室内」すなわち「内部」が自己となる顚倒の構図を生きた『さかしま』のデ・ゼッサントであり、肖像画という「表面」に魂を移植し、表面にとどまったまま朽ち果てる主体、ドリアン・グレイである。彼らが選択した人生の芸術化は、キルケゴール的誘惑者の、約束を反復しつづける自己言及的な言説にも通底しており、発話者にとって、際限のないこの反復を断ち切る手だては、もはや「死」以外になくなってしまう。三島がおのれの人生を芸術に仕立てあげるべく肉体の改造に走り、自死を選んだ道筋もこの延長線上にあるのだ。ヘンリー卿がドリアンにむかって、「きみは像を彫るでもなし、絵を描くでもなし、きみという人物以外のなにものをも造りださなかったのだ! 人生こそきみの芸術だった」と言い放つとき、これはそのまま三島に対する好意的批判となるだろう。

各論が各論にとどまらず心地よい論理の流れに組み込まれ、一頁一頁がまるで「書物の皮膚」を思わせる冷たい滑らかさを保っている本書には、「美的人間」の立場に与する者もそうでない者も、公平に摑んで離さない明澄な視座がある。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

文学の皮膚―ホモ・エステティクス / 谷川 渥
文学の皮膚―ホモ・エステティクス
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(200ページ)
  • ISBN-10:4560046190
  • ISBN-13:978-4560046197
内容紹介:
女の肌、影、分身、逆ピグマリオニズム、肉体、ドン・ファン、デカダンス、肖像をモチーフとして、谷崎潤一郎、梶井基次郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房、キルケゴール、ユイスマンス、ワイルドのテクストに「ホモ・エステティクス(美的人間)」の諸相を探る。異色の作家・作品論でもある。

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初出メディア

図書新聞

図書新聞 1997年4月5日

週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。

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