書評

『少年とオブジェ』(筑摩書房)

  • 2023/07/12
少年とオブジェ / 赤瀬川 原平
少年とオブジェ
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(232ページ)
  • 発売日:1992-08-01
  • ISBN-10:4480026436
  • ISBN-13:978-4480026439
内容紹介:
電球のあの、いまにも割れそうな薄いガラスの中には何が入っているのだろう?もしかして、地球からずーっと離れた宇宙の空間が入っているのかも。学校で、道路で、台所や机の上でおつきあいしたいろいろな物たち。物の中には何かが隠されているような気がする…。そんな“赤瀬川少年”が謎を追う。

日常物品をめぐる視覚と言葉の二人三脚

赤瀬川原平という人は、よく訳の分からない人である。最初は絵描きとしてスタートしたそうで、たしかに戦後の前衛美術運動のピークの一つ「ハイレッド・センター」のレッドは彼の姓から来ている。しかし仲間のハイ(高松次郎)とセンター(中西夏之)がその後日本の前衛美術の世界で着々と地歩を固めたのに、彼だけはなぜか額縁から逸脱してしまい、尾辻克彦の名で小説を書いて芥川賞を受けたり、街をフラついて「トマソン」などという妙な物体を発見したりと、今やもう活動にとりとめがなくなり、作家という肩書はあるものの、絵の作家だか文の作家だか仕事の輪郭が霞のようにぼやけてしまっている。

しかし、この本『少年とオブジェ』(ちくま文庫)を読めば、ぼやけた向こうにもう一度、しっかりした輪郭を発見することができるだろう。なぜなら、今から二十年前にはじめて書いた処女作にほかならないからだ。長らく、版が絶えていたが、こんど文庫に入り、誰でも読めるようになった。

処女作を読んで改めて思ったが、赤瀬川原平は「視覚の人」である。視覚にくらべれば知力も性力も食欲もずいぶん劣る。いや、言い方が家族に悪かった。知力や欲望は二割七分の平均的打者だが、こと視覚については四割の打率をずっとキープしている。文をものする人の中では、視覚のホームラン王といえるかもしれない。

たとえば「電球」の章。
雫のような形のガラス球の中は、真空なのです。空気がない。……地球からずーっと離れた宇宙の空間を、ガラスで包んで持ってきたのだ。しかもいまにも割れそうな薄いガラスで。……あの中には地球の外があるのです。あの中は外だ。だからよく考えると、地球は反対にあの電球のガラスに包まれているのです。あんなに薄いガラスの皮で、地球は外から包まれているのです。割れてしまったらどうするのだ。

そんな宇宙空間を、ポツンとガラスの皮で閉じこめた電球が、私たちの世界では一つの部屋に一つずつ、天井の中央からぶら下がっているのです。

おそらく、暗い下宿の天井の淋しい裸電球をじっと見つめながら書いた一文にちがいない。

この文は電球が雫のような形をしていることから始まっているが、もし四角か蛍光灯のように棒状だったら、天井から宇宙がぶら下がっているところまでは想像力は届かなかったと思う。形によって想像力が始動し、そこからズルズルと文が流れ出てくる、というタイプのもの書きを僕は他に知らない。

こういう調子の視覚と言葉の二人三脚が、蛇口、畳、割り箸、革靴、チューインガム、雑巾、などの日常物品を相手に続くのである。もし、電球や蛇口や畳にも人生というのがあるなら、彼らのための私小説を赤瀬川原平氏は綴っているのだろう。

【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

少年とオブジェ / 赤瀬川 原平
少年とオブジェ
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(232ページ)
  • 発売日:1992-08-01
  • ISBN-10:4480026436
  • ISBN-13:978-4480026439
内容紹介:
電球のあの、いまにも割れそうな薄いガラスの中には何が入っているのだろう?もしかして、地球からずーっと離れた宇宙の空間が入っているのかも。学校で、道路で、台所や机の上でおつきあいしたいろいろな物たち。物の中には何かが隠されているような気がする…。そんな“赤瀬川少年”が謎を追う。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1992年10月23日号

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