書評
『不老不死の身体―道教と「胎」の思想』(大修館書店)
その気なら誰でもなれそう
不老不死の身体を獲得するには、はるか海上の神山まで旅して神仙界に昇天しなくてはならない。それに神仙は俗人のような飲食をしないから、神仙志望者はあらかじめこちら側で金玉や紫芝(紫色の霊妙な茸(きのこ))を服用する修行をしておく。こうして外部から服薬などで神仙に近づく方法を外丹術といった。誰にでもできる修行ではない。まかりまちがえば毒性の薬石や毒茸に当たって、はいそれまでよ。これに対して内丹術というのは、仙薬を自分の身体の内部に生みだし育てる技術。わざわざ遠方まで行くまでもなく、山中の洞穴やそこらの壺(つぼ)が仙境への入り口だったりする。洞門の向こう側に開ける桃源郷などもその類だろう。洞穴といい、壺といい、どれもまん丸な球体であることにご注意。人体器官でいえば胎児を宿す子宮、つまり「胎」が仙境の形に最も近い。
副題の「道教と『胎』の思想」はその意味だろうか。神仙を志す道士はまず気をめぐらして胎を存思(そんし)する。つまり想像力で身体内部に胎をつくる。するとその胎に胎児のように体内神が宿り、それをまた気で養ううちに、あべこべに体内神が修行者を養い始め、かくて入れ子状になった双方が相互に気を補完し合いながら、ついには修行者が体内神に、老道士が胎児に還(かえ)る、といった翁童の回帰的交換による不老不死が達成される。
要するに胎児に還って母の胎内の無時間に浴(ゆあ)みする無為至楽の境。だが、そこにいたる道程は、
交接・懐胎・出産という、あらゆる生命体がごく自然に行ってきた営みの枠組から、少しも外へは踏み出していない。
と著者。あくまでも「食」と「性」という生命活動の枠内で行われている「偉大なる自然の営み」が根底にあるのだ。
人々はそれを『道』と呼んで、その懐へ帰ろうとしたのである。
してみると道術は、誰もが知らないうちに実践している道であるのかもしれない。神仙の境地は手のとどかない別世界にあるのではなく、その気なら誰でも今ここで自然の懐に帰って不老不死になれそうなのがうれしい。
朝日新聞 2002年12月15日
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