書評
『東京印象記』(大空社)
啄木の新作と明治文学史の片隅
雑誌「群像」に『日本文学盛衰史』という小説を連載しはじめた。三回目を書き送ったばかりで、このコラムが出る頃には本屋の店頭に並んでいるかと思う。舞台は明治四十年前後、登場人物は明治の文学者たちで、現在のところは石川啄木が活躍している。で、考えてみたのだが、啄木を活躍させるなら啄木の短歌にも触れたい。でも啄木の短歌についてはいままでに百万人ぐらいが書いているだろうし、その人たちが書いていないことを書くのは難しそうだ。なんとか、誰も触れたことのない啄木の未知の短歌について書けないものか。といったって、啄木の書いた作品は何もかも発見され、すべて発表されている。どうする? 啄木に「新作」を書かせりゃいいのである――と、ここまで考えた人はいるかもしれない。でも、思いつくだけで実行には移さないだろう。理由は二つ。① 作家が思いついたとしても、パロディならともかく、本格的な啄木の新作短歌なんか作れない
② 歌人が思いついたとしても、なにせ相手は「短歌の神様」である、恐れ多くてとても勝手には作れない
そこで、わたしはこういう作戦を思いついた。「小説の中で使いたいので、啄木として新作の短歌を書いていただけないでしょうか」と現代の歌人に頼んでみるという作戦である。わたしは担当の編集者を通じて、わたしの好きな、そして現代を代表する某歌人にこの無茶苦茶なお願いをしてみた。そうしたら、なんと「お引き受けいたします」という返事。やったね!
待つこと数日、わたしが受け取った「啄木」の新作は十一首。どれも素晴らしい。小説の方が霞んじゃうよなあといいつつ、楽しみながら、わたしは小説の部分を書いた。サーヴィスとして一つだけ紹介いたしましょう。
「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら雀る宇宙飛行士
なお、「啄木」氏の本名は連載終了時まで明かされぬ予定である。
そういうわけで、明治物の連載をしているので明治期の作品を読む機会が増えた。元々、明治の作家は好きだったが、仕事になると大変。小説や評論だけでなく資料にもあたらなくちゃならない。それもできれば当時の様子を生々しく描いたものがいいが、そんな本はふつうの本屋ではなかなか見つからない。結局、中学高校以来三十数年ぶりという古本屋巡りをはじめてしまったのだった。
明治四十四年刊行という児玉花外の『東京印象記』(金尾文淵堂)もそうやって見つけた一冊。カラー(?)の挿絵がついて、一編あたり一頁から数頁の短いコラムが満載されている。「ミルクホールの卓」「枯木に電燈の花」「道玄坂の陽窟」「浅草十二階論」といったタイトルから想像できるように、東京という都市の当時の風景が精密にそして批判的に描かれていて、資料としても一級品だ。そこで気になったのは、この児玉花外という作者。調べてみると、明治文学史のあちこちに名前だけは登場している。「京都生まれで社会主義思想を抱く豪傑肌の詩人」と記されている彼は、雑誌「社会主義」を通じて幸徳秋水と繋がり、雑誌「文庫」を通じて当時の「現代詩」の主流とも繋がっていた。詩と政治に翻弄された文学青年の典型だが、そういう人物、調べてみると多そうで意外に少ないのである。
文学史にかろうじて名前だけ残った明治の詩人が書いた都市エッセイ。そう思って読むと、何だか身につまされるな。
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