前書き

『マリー・アントワネットは何を食べていたのか』(原書房)

  • 2019/07/08
マリー・アントワネットは何を食べていたのか / ピエール=イヴ・ボルペール
マリー・アントワネットは何を食べていたのか
  • 著者:ピエール=イヴ・ボルペール
  • 翻訳:ダコスタ吉村花子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(200ページ)
  • 発売日:2019-06-11
  • ISBN-10:4562056657
  • ISBN-13:978-4562056651
内容紹介:
ヴェルサイユに輿入れしたマリー=アントワネットが、宮殿の食にカルチャーショックを受けた若き日から、幽閉生活の食事情まで。18世紀後半のフランス宮廷の食にまつわる文化を広く知ることができる歴史書。図版入り。
贅沢三昧の象徴のごとくさまざまな噂に彩られているマリー・アントワネット。その素顔を、テーブルの上からときあかします。
王妃の食生活だけでなく、フランス王室の食生活やテーブルマナーの変遷、18世紀全体を通じてフランスの食の嗜好の転換までを浮き彫りにした『マリー・アントワネットは何を食べていたのか』のプロローグを公開します。
 

テーブルの上の王妃と宮廷の知られざる生活

伝記には、その人物ならではのお決まりのイメージがある。マリー・アントワネットも例外ではない。マリー・アントワネットについての本を書くと言った筆者に投げかけられた最初の質問も、「とうとう、スウェーデンの伯爵アクセル・フォン・フェルセンとの情事に光を当てるのですか?」だった。多くの読者は新事実を求めているが、言ってしまえば、ありふれたやり方で時代順に事実を並べ、王妃を紋切り型に描く伝記にはうんざりしているのだ。純真で人に左右されやすいため、「ファッション中毒」になってしまったうら若き女性の恋愛、夫ルイ一六世(一七五四-九三年)との結婚生活のつまずき、首飾り事件(一七八四-八五年)をはじめとするヴェルサイユ宮廷のスキャンダル。これら三つの切り口は、多くの読者にとっておなじみだろうし、正直に言えば使い古された感が否めない。確かにこれでは、若きオーストリア皇女がフランスに輿入れした一七七〇年から革命が勃発する一七八九年夏までの約二〇年の間、これらの三つの事柄以外、書くに値することがないと言っているようなものだ。

幸運なことに、アントワネットの人生については、歴史家たちが徹底的な研究を行っている。第一人者であるエヴリーヌ・ルヴェの著作はこの分野の権威であり、読者はその伝記を参考にできるだろう。だが、「オーストリア女」の日常生活を描いた数々の本はあれど、食についてはほぼ触れられていない。例えば、『麗しのマリー・アントワネット』は、王妃が日常どんなものを食していたかについては一切述べていないし、ミシェル・ヴィルミュール著『マリー・アントワネットの食卓』も、食欲をそそる数々のレシピを紹介してはいるが、王妃の食生活や好みについては漠然とした記述しかない。伝記を読んでみると、確かに「王妃はつまむ程度にしか食事をしなかった」とか「王妃はテーブルで退屈していた」という記述があり、王妃の首席侍女カンパン夫人〔マリー・アントワネットの首席侍女。『回想録』は当時の貴重な資料の一つ〕も同じことを明言している。つまり、王妃の食という題材にはこれ以上の情報はなく、さらに探ってみたところで、ヴェルサイユに恨めしげな視線を送り、パン屋とおかみさんと小僧(国王一家)に助けを乞う民衆を目のあたりにして言ったとされる「パンがなければブリオッシュを食べればいいのに」という有名な言葉で議論は打ち切りということになる。だが、本当にそうだろうか?

この言葉自体、彼女のものではないことをご存知だろうか? ジャン=ジャック・ルソーは、『告白』の中で、「ある身分の高い姫君」がこの言葉を口にしたと書いているが、その名前は明かしていない。「帯剣した洒落た紳士」の身なりのルソーは、パンを買いに行くことをためらう。「そこで私は、農家の者たちはパンにも困っておりますと聞かされたある身分の高い姫君が、その場しのぎで、それならブリオッシュを食べればいいのに、と言ったことを思い出した。そこで私はブリオッシュを買った」

本題に戻ろう。アントワネットの生をたどった伝記ではしばしば、歴史的事実よりもフィクション―食の楽しみと性を結びつける妄想―が勝っている。古文書よりも、宮廷人や、王妃に敵意を抱く者たちのよもやま話、あるいは革命前の王妃について語ることで名をなそうと目論む回想録作家たちの、かならずしも信頼性が高いとは言えない回想録が優先されてきた。現代になるとSNSがこれに取って代わり、マリー・アントワネットについてのおなじみの噂を拡散している。そうした噂の中でも、世界で初めてのシャンパーニュグラスは王妃の左乳房をかたどって作られた、という話は広く知られており、ハフィントンポストも報じているが、信憑性が高い説として扱っていないのがせめてもの救いだ。また、後述のセーヴル磁器製作所による乳房型のボウルも、いくつもの噂を生み出した。

マカロンはどうだろう? 二〇〇六年公開のソフィア・コッポラ監督『マリー・アントワネット』では、シャンパーニュと共に目立つ位置に置かれていたが、現在のような形をしていたと考えるのは、キルスティン・ダンストがロック音楽を背景に演じるファッション中毒の王妃像を真実だと信じるのと同じくらい、時代を混同している。アントワネットが実際に口にしたマカロンとは、ラデュレのそれではなく、「マカロン姉妹」というあだ名で呼ばれていたナンシーの聖体会修道院に所属する二人の修道女が作ったもので、小さく、ひび割れていて、でこぼこした生地の中にはクリームも詰められていない。つまり、アントワネットは単なる一王妃ではなく、マーケティングに基づいた非常に収益力のある商品であり、だからこそ少々の歴史的事実の歪曲も許されるというわけだ。

真実と虚偽を見分けること、「かもしれない」と「起こりうる確かなこと」を区別すること。これはなかなか難しい挑戦ではあるが、歴史家にとってはやりがいのある作業である。哲学者オリヴィエ・アスリが、『ジャン=ジャック・ルソーの食べたもの:料理、嗜好、食欲』と題した優れた著作を記したように、マリー・アントワネットの食についての歴史学者による研究があってもいいはずだ。ヴェルサイユに輿入れした頃の彼女は、どのようにしてフランス王室の食卓やしきたりに適応したのか? 彼女の嗜好はどのように形成されていったのか? トリアノンの招待客には、どのような食が供されていたのか? タンプル塔に幽閉されている間は、何を食べていたのか?

さまざまな史料に散り散りになっている証言や言及は、マリー・アントワネットの嗜好、彼女がフランス宮廷や王族の食事や慣習にどのように適応したのか、しなかったのかを、そして一八世紀〔啓蒙の世紀と呼ばれる〕の食習慣を明らかにしてくれる。食卓での儀礼を簡素化したい、親しい人たちだけと「内輪の食事」を楽しみたい、格式ばらない食の時間を根付かせたい。彼女のこうした望みは、宮廷という伝統的空間の中で生きることの難しさを雄弁に物語っている。また、自然なままの本物の素材を愛し、ソースの少ない料理を求め、口の中でさくりと割れるメレンゲや、サクランボやイチゴといったみずみずしい果物など甘いものが大好物だったことも、興味深い点の一つである。マリー・アントワネットという人物、彼女の望んだもの、抱えていた矛盾、そして一つの時代そのものの嗜好やパラドックスをよりよく理解する。これが本書の掲げる挑戦である。

(プロローグ「はじまりの一皿」より)

[書き手]ピエール=イヴ・ボルペール(ニース・ソフィア・アンティポリス大学教授)(ダコスタ吉村花子翻訳)
マリー・アントワネットは何を食べていたのか / ピエール=イヴ・ボルペール
マリー・アントワネットは何を食べていたのか
  • 著者:ピエール=イヴ・ボルペール
  • 翻訳:ダコスタ吉村花子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(200ページ)
  • 発売日:2019-06-11
  • ISBN-10:4562056657
  • ISBN-13:978-4562056651
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ヴェルサイユに輿入れしたマリー=アントワネットが、宮殿の食にカルチャーショックを受けた若き日から、幽閉生活の食事情まで。18世紀後半のフランス宮廷の食にまつわる文化を広く知ることができる歴史書。図版入り。

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