書評
『騎馬民族は来なかった』(日本放送出版協会)
「伝説」を事実の光で正す偉業
敗戦で日本が文化的、精神的に動揺している最中に出された江上波夫の「騎馬民族説」くらい衝撃的な日本人起源論もなかった。日本人はUFOに乗ってやってきた宇宙人だというくらいの、いやこのたとえはまずいな、とにかく今となってはたとえようもないショックを、多くの日本人に与えた。天皇家の祖の崇神(すじん)天皇が馬に乗り、騎馬軍団を率い、朝鮮半島南部の任那(みまな)(伽耶)から北九州に上陸し、対馬海峡をはさんだ一帯に連合国日本を作り、この勢力が応神(おうじん)天皇の時に大阪平野に進出してやがて大和朝廷となる、というのである。それまで、瑞穂(みずほ)の国日本、農耕民族日本、そしてその長としての天皇家を何の疑いもなく信じてきたたいていの日本人は、天皇家が朝鮮半島から渡来し、自分たちの血は実はユーラシア大陸の草原を駆ける騎馬民族のものであるという説を、戦時中の皇国史観と正反対の主張として、意外にすんなり理解した。
しかし今振り返ると、この受け容れの背後には複雑な事情があり、朝鮮半島を植民地支配したことへの贖罪感(しょくざいかん)、天皇家の聖性を否定したい左翼史観、騎馬民族の爽快感と国際性へのあこがれ、といった敗戦後のいろんな心理がからみ合っていた。こうした複雑な心理がある限り、本当に事実かどうかといった追及は怠りがちで、考古学や歴史学の専門家の多くは騎馬民族説に否定的なのに、国民の間には広く根を張る結果となる。
これではいけない、と考えた考古学者の佐原真は、騎馬民族説と取り組み、本の題名のような結論に達する。騎馬民族から文化的影響は受けたけれども、民族移動的な征服王朝の成立などはなかったというものである。文化的には受け容れ、民族的には受け容れなかったということの証明は、何を判断指標にするかが一番のポイントになるが、佐原は食習慣、去勢、犠牲を指標に論を進める。
まず食習慣については、弥生時代にはいたブタやニワトリが時代が下がるに従って消えてゆく傾向、奈良時代には乳製品を好んだ天皇家がすぐに乳離れしてしまうこと、などを例に、遊牧を基盤とする騎馬民族の移動があったとは思えない、とする。
遊牧に不可欠なオスの牛馬の去勢も古来、日本では行われていないし、家畜去勢と密接に関係する人間の去勢つまり宦官(かんがん)の制も中国や朝鮮半島とはちがい、日本には入っていない。
騎馬民族系の王朝では王が即位をするとき、牛馬を殺し、血を流し、神(天)に供するけれども、日本の天皇家は古代でもそうした儀式は行わず、殺生や血を不浄なものとしてむしろ嫌っている。
こうした指標から「騎馬民族は来なかった」とするのである。
古代の朝鮮半島においても、北に行くほど遊牧・騎馬民族の風習は濃く、南下するに従って農耕文化の色彩が強まると著者はいう。おそらく、ユーラシアの大草原を馬に乗って駆けた民族は、朝鮮半島を南下するに従い定住する「原住民」の柵に障(さえ)ぎられて足踏みを余儀なくされ、一方、原住民の側は、柵の間から進んだ大陸の文化と風習とごく一部の専門家を、それも選択的に受け容れた。明治維新の時に欧米との間で起きたと同じことが古代の日本と大陸の間でも起こっていた、というのである。
当たり前すぎる結論だけれども、面白い説を無いと否定する空しさに耐えて、広く人々の間に根を張る「伝説」を事実の光で正す作業を続ける佐原真は偉い。
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