書評
『フランク・ロイド・ライトと日本文化』(鹿島出版会)
浮世絵とモダニズム建築の関係
‟帝国ホテルのライト”といえば、他国ならいざしらずわが日本では、帝国ホテルの照明ではなくて建築家をさすことは誰でも知っている。建築家フランク・ロイド・ライトの名が広く知れ渡っている国なんて母国アメリカのほかには日本しかないが、それだけの深い縁がライトと日本の間にはたしかにある。最初の縁は意外にも建築ではなくて浮世絵だった。ライトは、浮世絵の腕っこきのバイヤーとして日本で買い付けを行い、自分自身も浮世絵はじめ日本美術の熱心なコレクターだった。ニセモノをつかまされると、ピストルをつきつけて白状させたと伝えられている。
日本のライト研究第一人者の谷川正己博士によると、明治三十八年の初来日以後、何回も来日し、各地を歴訪して伝統的名建築や庭や日本美術に心酔しているが、ここに困った問題が一つある。それだけ心ひかれていたなら彼の建築デザインに影響が出て当然と思うが、ライトはそれを認めなかった。彼が独自のスタイルを創り上げた時期は世紀末で、まさに日本の伝統美術が欧米の美術とデザイン全体を激震させていた最中なのに、彼はかたくなに認めなかった。
そして、本人の自白のないまま、太平洋のあっちとこっちであれこれ語られてきた。語られはしてもこのテーマに絞った一冊の本が公刊されるまでにはいたらなかったが、しかしようやく、太平洋の両側を調べて判定を下す本がこのたび刊行された。
著者のケヴィン・ニュートは、影響は決定的だった、という立場に立って論を進めてゆくのだが、たしかに挙げられた物証を見ると納得させられる。次のページを見ていただきたい。たとえば、日光(大猷院)の権現造りの平面(上の図)と初期の代表作のユニティ教会の平面(下の図)を並べると、こんなことしていいのだろうかと不安になるほど似ている(なお、この指摘を最初にしたのは谷川博士)。おまけに、初来日して日光を見て帰国したすぐ後にユニティ教会の平面を作っているのだから、もはや言いのがれはできまい。
しかしライトは言う。神のための空間と信者の集会のための空間をちゃんと分離してそのうえで通路でつなぐというきわめて合理的な構成で、神の空間が正方形になったのはその方がコンクリート造りは安く出来るから、と。権現造りは江戸の初期から神の正方形と信者の長方形を分けて廊下でつなぐ構成をとっているのでありまして……。
こうした配置上の類似はともかく、ライトが日本建築から学んだ本質的なことは、空間の連続性、流動性であった。欧米の厚い壁で囲われた部屋を単位とする構成から、日本伝統のフスマやショウジや雨戸を開けると部屋から部屋へと流動し、内から外へと連続するオープンな構成へ。すでに日米の多くの先人が可能性として指摘しているこのことを著者は、具体的証拠を積み上げて論じてゆく。最初の影響は、かのモースの名著『日本の住い』に載る間取りだった。その次はシカゴ万博の日本館だった。そして来日して目の当たりにした本物の数々。
こうした建築から建築への影響は分かりやすいが、さてでは、「北斎はこうやってうまくいったのに、くそっ、どうして俺にはだめなんだ」と弟子たちに告白するライトは浮世絵から何を自分の建築デザインへ持ち込んだのか。
この問いに答えるのはまことにむずかしい。自分の建築の透視図を浮世絵そっくりに描いたのはよく知られているが、透視図は建物の実体ではない。
浮世絵の特徴として、手前に木の幹などを配してその向こうをのぞくようにして主題を描くやり方がある。こうした“のぞき描法”は、ヨーロッパの絵画のように見る者が絵と一対一で向かい合いあれこれ思索するという対面的観賞法をやめさせ、見る者は絵の中に入り込んでいるような気にさせてくれる。のぞいて引き込まれる。
著者はこの浮世絵独得の効果を「主題(絵)と観察者(見る人)の間の空間的連続性」と言う。何よりまず浮世絵から日本美術に入ったライトは、自分を画面に引き込み、さらに遮るものなく視覚を奥へと誘い左右へと広げてくれる浮世絵によって空間の連続性、開放性というものに開眼した、と主張するのである。
二十世紀建築史の教えるところによれば、ライトによって提唱された空間の連続性は、一九二〇年代、ヨーロッパに影響してモダニズム建築を生み、昭和初期、日本に導入され、そして現在にいたる。
町を歩けばどこにでも建っているガラスを多用した開放的な建物は、元をたどると浮世絵にいたる、というわけであった。
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