退屈な読書
- 著者:高橋 源一郎
- 出版社:朝日新聞社
- 装丁:単行本(253ページ)
- 発売日:1999-03-00
- ISBN-13:978-4022573759
- 内容紹介:
- 死んでもいい、本のためなら…。すべての本好きに贈る世界でいちばん過激な読書録。
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文学史というものが存在することは、以前から知っている。それが論理的に可能であるのかどうか、そこがよくわからない。そもそも歴史一般がなぜ可能なのか。私はいつも、歴史がなぜ可能か、という疑問を持ち続けて来た。
ただいま現在のことすら、理解がおぼつかない。しかるに、そのおぼつかない現在が、過去に変わると、ものごとがあんがい明確になるらしい。そこがどうも、いま一つ、納得がいかない。死んだ人間は、文句を言わない。それが歴史を可能にする要件かと思ったこともある。
恐らく読者の大部分にとって、未知のこういう屍体の形状についてもっと詳細を記述すべきかもしれないが、今は止めておく。我々はこの種のものをよく見得るものではない。私は絶えず眼をそらし、眼を帰してはまたそらしながら見たと記憶する。こうして私がこの傷ましい観物を見た時間は合計三十秒を出ないであろう。描いて数百字を並べることも可能であるが、人間が三十秒しか眺め得ない映像について、読者に数分の注意力を強いるのは間違いではあるまいか。
……ここで著者はこの映像を三十秒以上眺め得るのは「人間ではない」と規定している。その規定はまさに『羅生門』を書いた芥川の人間規定である。それを私は世間と呼んだのである。そこでは世間は時間と空間によって切り取られた、特定の約束事のうえに成立しているものである。その世間が日本の「伝統」自体からもいかに切り離されているか、その意識もない。
『方丈記』は読んでも、九相詩絵巻は『見ない』のである。