退屈な読書
- 著者:高橋 源一郎
- 出版社:朝日新聞社
- 装丁:単行本(253ページ)
- 発売日:1999-03-00
- ISBN-13:978-4022573759
- 内容紹介:
- 死んでもいい、本のためなら…。すべての本好きに贈る世界でいちばん過激な読書録。
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『眺めたり触ったり』(文・青山南、絵・阿部真理子、早川書房)というタイトルからはどんな内容なのか想像できないが、これは「読書」のいろんな側面、その魅力について書かれた素敵な本なのだった。
たとえば、本といえばまず中身というのは間違いで、どこで読むか、どうやって読むか、どんな気持ちで読むかで印象が違ってくることは誰だって知っている。読書=本+本を読む時の状況なのだ。
ジャネット・ウィンターソンの果物小説『さくらんぼの性は』(白水社)に、部屋の掃除をしていた主人公のひとりが、ベッドの下に子どものころに読んだ本をどっさり見つけ、箱のなかにどんどんぶちこんでかたづけるというシーンがある。どうってことないシーンなのだが、次の一節にはひっかかった。
「中に一冊だけ、よく覚えている本があった。あまりはっきり覚えているので、イメージとしてではなく、舌の上に味覚として蘇ってくる――それぐらい、それは鮮明な記憶だった。その本を読んでいたとき、外は雨だった。雨が降っていて、クリスマスのすぐ後だった」(岸木佐知子訳)
この主人公が「はっきり覚えている」のは、本の中身なのか、それとも、外は雨だったという、本を読んでいたときの状況なのか、はて、どっちなんだろう。
本の中身と、本を読んでいた、あるいは、本と出会った状況と、どっちのほうがおもいだしやすいか、といったら、だんぜん状況のほうである。
こういうのって、ぼくだけかな。