書評

『新編 新宗教と巨大建築』(筑摩書房)

  • 2020/08/23
新編 新宗教と巨大建築 / 五十嵐 太郎
新編 新宗教と巨大建築
  • 著者:五十嵐 太郎
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(375ページ)
  • 発売日:2007-06-00
  • ISBN-10:4480090819
  • ISBN-13:978-4480090812
内容紹介:
天理教、金光教、大本教など19世紀に立教した新興宗教から、真光教、パーフェクト・リバティ教団などの戦後の新宗教にいたるまで。なぜ近代以降の宗教建築は、いかがわしく不気味なものと見な… もっと読む
天理教、金光教、大本教など19世紀に立教した新興宗教から、真光教、パーフェクト・リバティ教団などの戦後の新宗教にいたるまで。なぜ近代以降の宗教建築は、いかがわしく不気味なものと見なされてきたのか。その建築・都市計画を読み解き、神道・伝統仏教における建築や、海外新興宗教の都市計画とも比較する。建築批評の第一人者である著者が、日本の歴史・社会において新宗教という他者に向けられてきた視線を克明に描き出し、大きな話題を呼んだ表題作に、増補・書下ろしを加えた増補決定版。

巨大でキッチュな新宗教建築

観光といえば名所旧跡・社寺仏閣と相場は決まっている。でも、その社寺仏閣の中に新宗教の施設は含まれない。たんに建物が新しいから見る価値がないのではなく、新宗教そのものが持っている(と思われている)いかがわしさのためであり、そして建築物がそのいかがわしさを体現しているからである。私なんか、新宗教の教会だか寺院だかの前を通るとき、「見なかったことにしよう」と思う。その視線には、「新宗教イコール淫祠邪教」という差別と偏見も含まれているのだけれども。

もっとも、『新宗教と巨大建築』の著者、五十嵐太郎によると、新宗教の建築を「見なかったことにしよう」と思うのは私だけではないらしい。建築界もそうなのだという。それは戦前の国家神道体制のもと、明治神宮や靖国神社が建築的に高く評価されていたことへの反動だからとか。

この本で扱われているのは天理教と金光教、大本教、そしてPL教団や真光教など戦後の新宗教の建築である。なかでもおもしろいのは天理教だ。建築と都市造りが、教団の発展や教理の進化と一体化している。なにしろ教祖の中山みきは「貧に落ち切れ」なんていって、家財道具や田畑を処分し、どんどん自分の屋敷を壊していったというのだ。そして、なーんにもなくなったところで「これから、世界のふしんに掛る」といったのだとか。まさにゼロから出発して、現在の天理市を造ってしまった。

もっとも、本書を読んでも、新宗教建築のキッチュ感がぬぐえるわけではない。PL教団にしても崇教真光にしても、やっぱり建物はどこかヘンだ。たぶんそれは、まだ歴史もないものに、急ごしらえで権威をまとわせようとする無理がにじみ出るからではないか。仏教や神道、キリスト教などの施設からの引用が多くなり、しかもスケールばかり大きくなるものだから、笑ってしまうような造形になる。まあ、その形態が、彼らの教義の反映だなどとは思わないけれども。
新編 新宗教と巨大建築 / 五十嵐 太郎
新編 新宗教と巨大建築
  • 著者:五十嵐 太郎
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(375ページ)
  • 発売日:2007-06-00
  • ISBN-10:4480090819
  • ISBN-13:978-4480090812
内容紹介:
天理教、金光教、大本教など19世紀に立教した新興宗教から、真光教、パーフェクト・リバティ教団などの戦後の新宗教にいたるまで。なぜ近代以降の宗教建築は、いかがわしく不気味なものと見な… もっと読む
天理教、金光教、大本教など19世紀に立教した新興宗教から、真光教、パーフェクト・リバティ教団などの戦後の新宗教にいたるまで。なぜ近代以降の宗教建築は、いかがわしく不気味なものと見なされてきたのか。その建築・都市計画を読み解き、神道・伝統仏教における建築や、海外新興宗教の都市計画とも比較する。建築批評の第一人者である著者が、日本の歴史・社会において新宗教という他者に向けられてきた視線を克明に描き出し、大きな話題を呼んだ表題作に、増補・書下ろしを加えた増補決定版。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 2002年2月1日

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