書評
『うわさの遠近法』(筑摩書房)
明治から敗戦時までのうわさの生態史
何か事件が起こった時、新聞やテレビの伝えだけでは物足りなくて、「実はネ」ではじまるうわさ話や裏話を耳にしてはじめて納得のいくような体質になっている面々は、『うわさの遠近法』(青土社・現講談社学術文庫、ALL REVIEWS事務局注:その後、ちくま学芸文庫)を読もう。『週刊朝日』を裏から開くような人も読んだらいい。明治から敗戦時までのさまざまなうわさ話が採集されているだけでも面白いが、そのうわさが事実からいかに派生し、社会の中でどう機能したかといった「うわさの生態史」の醍醐味を満喫できる。われわれの御先祖様は、文明の世になってからでも(著者によると文明の世になったからこそ)、よくもまああることないことうわさしてきたものだとあきれる。たとえば、明治初期の土佐でのこと。公立病院にはじめて納入されたベッドについて、異人が人間の脂を絞る台であるといううわさが流れる。たしかに寝具なしのベッドは魚を焼く鉄網に似ていなくもない。このうわさはただちに広がり、「土佐の脂取一揆」となって暴発する。もちろんこのうわさは、突如、新時代に直面させられた普通の人々の漠とした不安に火をつけたから燃えさかった。
まず、政府から下される布達(ふたつ)の文章に問題がある。江戸期の布告は民百姓でも分かるようにひらがなまじりの通俗な文章で書かれていたのに、明治政府は漢語体で権威づけて下した。おそらく現在の法律の文体はその名残だろう。人々は、病院についての布達文をよく読み取れず、唐人の言葉にちがいないとか、「医道」の二文字も「医道とは井戸のことで井戸を潰せという話だとか……井戸を潰し、川上から毒を流して人種を絶やすつもり」と読み取る。そして、そうした新しい言葉の源である学校と高札場(こうさつば)を襲撃した。
当時、廃仏毀釈から断髪、改暦までさまざまな布達が村々に下ろされ、地域社会が慣れ親しんできたそれまでの固有の時間と空間に改変を迫っていた。風俗や日常生活レヴェルの急激な改変は、得体不明の漠とした不安を生む。そしてこの不安は一揆へと暴発する。
明治のこうした一揆についてこれまでの歴史学は、反政府活動、民権運動の面に着目してきたが、著者はちがう。
一揆の資料を読むと浮び上がるのは、一揆の経過ばかりでない。注意して読めば、彼らが集った場所や歩いた道の様子が見えてくる。山や谷、川に囲まれた村、打ち鳴される寺の鐘、農民が集合する河川敷……人々が自然のなかで生き、営々として作り上げてきた小さな世界……このような村が新しい制度で壊される時、うわさを仲だちとして古い伝承(「異人が脂を絞り血を飲む=鬼の伝承」筆者)が蘇り、共同体の繋りを呼び起す。それが共通の基盤となり、一揆を支えた。
とすると、うわさには事実同様に永遠の生命がある。もちろんうわさ好きにも。
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