書評

『まだふみもみず』(幻冬舎)

  • 2022/03/19
まだふみもみず / 檀 ふみ
まだふみもみず
  • 著者:檀 ふみ
  • 出版社:幻冬舎
  • 装丁:文庫(291ページ)
  • 発売日:2003-08-01
  • ISBN-10:4344404106
  • ISBN-13:978-4344404106
内容紹介:
大好きなイギリス、初舞台を踏んだオーストラリア、赤毛のアンのカナダなど外国での異文化体験。正月、節分、日本ならではの四季の喜び。誰にも言えなかった恋の話。能古島での父・檀一雄との別れ…。振り返るたびに顔が赤くなる、でもどこか切ない「出会いと別れ」の思い出をしっとりと、ユーモラスに描く好評エッセイ。

返信のない手紙

まじめでやさしそうなお姉さん、というのが、中学の頃、テレビの「連想ゲーム」で檀ふみさんを見たときの第一印象。実は私とそう年は変わらないのだが、何ぶんこちらは少し前までランドセルを背負っていた身だから、「お姉さん」に感じられたのだ。ふみ、という、やわらかでちょっと古典的な名も、似つかわしく思われた。

正解してにこっと微笑むとえくぼができるのがかわいかったし、こめかみを押えて真剣に考え込む姿には、頭痛薬をあげたくなった。

「あのお嬢さん、慶應の学生さんなのよ」

私とともにファンになっていた母親が、どこからか聞いてきた。まるで近所で評判の「娘さん」の話をするような口ぶりだった。

『まだふみもみず』(幻冬舎文庫)は、檀さんが、旅先でのできごとや子供時代の思い出、お父さんである作家の檀一雄さんのことなどを綴ったエッセイ集。「ふみ」の名の由来もある。意味するところは、手紙、書物……。父が名づけたという。

楽しい中にもジンと来るものがあり、書いてきた経験の長さと、読書量とを感じさせる。落ち葉の焚き火に手紙をくべるシーンを、例に挙げよう。「木の葉と言の葉が、からみあいながら天へと昇ってゆく。空の色が、いつにも増して青い」がラスト。うーん、なんとも味わい深いではないか。

この本で知る檀さんは、はるか昔の第一印象を裏切らなかった。『若草物語』『小公女』など「いい子がいい子になるためのお話を片っ端から読んで、私は育った」なんてくだりには、

「そうじゃないかと思ってたんだあ」

とうなずきたくなるほどだった。

いわゆる女優さんのエッセイであるわけだが、いまや同じ中年の未婚女性に分類される私としては、そっちの方で共感するところが多かった。

駅弁をついフタの裏のご飯粒から食べてしまう、湯ぶねにつかると「極楽、極楽」なんて言ってしまう、トイレで本を開く。いやー、おたがいオバサンになったものですな。

それでいて、『赤毛のアン』に胸を高鳴らせるといった、思いきり少女っぽいところを引きずっていたりするのが、トウが立った娘のややこしさ。「『お姉さん』の時代はそう簡単に終わるものではない」と檀さん。

なんとなく、妻にもならず、母にもならず、この年まで来た。女優だからといって「人と変わったドラマチックな人生を送っているわけではない」という。

でも、よくよく考えれば、檀さんがそう言えるのは、すごい。娘の立場からすれば「あの人のお父さん、有名な作家なのよ」と言われ続けること、ましてそのお父さんに『火宅の人』のような作品があることは、思春期の頃など、結構キツかったのではと想像してしまう。

だいたい思春期の頃なんて、自分の人生をなるべくドラマチックなもの、人と違った特別なものと、思いたいものだ。檀さんのような条件なら「ああ、私は、運命的なものを抱え込んで生まれてきたのね」と思い込み、そこから、懊悩の中でのたうち回るという、悪しき文学趣味の方に向かってしまうことも、じゅうぶんあり得る。

が、そっちの方に行かなかったのは、そうした条件くらいでガタガタしないくらいの愛情を、親がしっかり注ぎ込んだためだろうし、それをきちんと受け止められる健全な知性が、子の方にも備わっていたからだろう。そう考えると、やはりこの人、タダ者ではない。

前は、雑誌などで檀さんのエッセイを目にするたび、

「どうして、そんなにお父さんのことを書くのかなあ。ひょっとしてファザコンかな」

と失礼ながら思うこともあった。が、この年になると、よくわかる。

女親と娘とは、よくも悪しくも一体みたいなところがある。家でともに過ごす時間も長いし、何といっても同じ性だ。対して、男親は別の文脈に生きる人。息子なら、いつか自分もその文脈をなぞらざるを得なくなるが、娘は異なる性であるがゆえ、いつまで経っても距離が残る。

それを埋めて、近づこうとするためには、女親との間にはない、プロセスが必要だ。あの人の生きてきた時間はどんなものだったか、何を価値としていたのか、その中で、家族は、自分は、どう位置付けられるのか。父の何気ないひとこと、ワンシーンを手がかりに理解しようとつとめる。言葉を用いて考えるプロセス。そこから、文章が生まれる。

檀さんの父は、檀さんが二十歳そこそこのとき亡くなった。手がかりはもう増えない。

だから、あの日、あのときのひとこと、シーンを、記憶の中から取り出しては、くり返し意味付けるほかはない。

「私が書いているのは、どれもこれも、父への『ふみ』なのかもしれない」と檀さん。あわただしく父に逝かれた娘は、亡くなって四半世紀してもなお、父との対話を試みて、返信のない手紙を出し続けるのである。

【この書評が収録されている書籍】
本棚からボタ餅  / 岸本 葉子
本棚からボタ餅
  • 著者:岸本 葉子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:2004-01-01
  • ISBN-10:4122043220
  • ISBN-13:978-4122043220
内容紹介:
本の作者が意図していない所に「へーえ」、テーマにピンとこなくたって「なるほど」と感じたことはありませんか?思いつきで読んでみても得るモノはあるはず。恋に悩む時、仕事に行き詰まった時…偶々、解決のヒントを発見できたら大きなご褒美です。寝転ろんで頁をめくりながら「おまけがついてこないかな」と自然体?で構えてみませんか。

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まだふみもみず / 檀 ふみ
まだふみもみず
  • 著者:檀 ふみ
  • 出版社:幻冬舎
  • 装丁:文庫(291ページ)
  • 発売日:2003-08-01
  • ISBN-10:4344404106
  • ISBN-13:978-4344404106
内容紹介:
大好きなイギリス、初舞台を踏んだオーストラリア、赤毛のアンのカナダなど外国での異文化体験。正月、節分、日本ならではの四季の喜び。誰にも言えなかった恋の話。能古島での父・檀一雄との別れ…。振り返るたびに顔が赤くなる、でもどこか切ない「出会いと別れ」の思い出をしっとりと、ユーモラスに描く好評エッセイ。

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初出メディア

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