書評
『桃源の水脈―東アジア詩画の比較文化史―』(名古屋大学出版会)
忘我の恬淡さで理想郷を語る
古代中国では桃の木に霊力が宿ると信じられ、桃の実を食べると不老不死になるという伝説もあった。陶淵明が桃源郷の風景を叙したとき、桃林のことを格別に美しく描いたのも、そのような桃のイメージが念頭にあったのであろう。しかし、桃源郷は仙境ではなく、そこに住まう人々も生死を超脱した、不老不死の存在ではない。彼らは皆どこの村里にもいそうな人たちばかりである。桃源郷が人々を魅了したのは、管理を必要としない秩序、力によらない平和があるからだ。人々は隣人愛と信頼によって結ばれており、そこには行き過ぎた欲望も、他者との争いもない。過剰な豊かさはないが、人々はみな心が満ち足りている。
陶淵明以来、東アジアの人たちは桃源郷に寄せる思いを夢の枕にして暮らし、長い歴史のなかで多くの詩歌や絵画が制作され、浩瀚(こうかん)な桃源郷の作品群が生み出された。
著者もこの東洋的な綺想(きそう)に魅せられ、若い頃から桃源郷の夢を追い続けてきた。桃源郷をめぐる言説を渉猟し、その絢爛(けんらん)たる表象の系譜を究めようとしてきた。そして、陶淵明が描いた桃源郷の中から出て来そうな老者の年齢になったいま、ついにこれまでの探究の成果を一巻にまとめて世に問うた。
空想体系のせせらぎを渉(わた)るとき、感性的直観の鋭さをいかに深めていくかで、探検者の知性と力量が問われている。著者はテクストの温(ぬく)もりを肌で感じ取り、情念のぬかるみの触感を確かめながら、共同体の記憶の底に沈みたまった古人の想(おも)いをすくい上げようとした。そこには批評理論に武装されたような、凝り固まった観念性はなく、海辺へと導く小径を知り尽くした釣り人のような、忘我の恬淡(てんたん)さがあった。
こうして、桃源郷を論じる者がまるで桃源郷に迷いこんだように、かつて存在していたかもしれないトポスをめぐって、詩的形象と絵画的言語のあいだを自由自在に往来し、一枚一枚の絵、一首また一首の詩から驚くべき夢の世界を発見した。
陶淵明以降の中国では、隠遁(いんとん)願望の伴奏もあって、桃源郷狂想曲はいよいよ現世を離脱する方向へと墜落して行った。その背後には、皇帝を頂点とする専制支配と、強権政治が宿命的に抱える腐敗に対する深い絶望とため息があった。むごたらしい弾圧に嫌気がさした文人たちは精神的逃走と遠方憧憬(しょうけい)にすっかり心が奪われてしまった。
しかし、同じく陶淵明に共鳴しながらも、日本列島と朝鮮半島では桃源郷幻想に向ける想像力のベクトルはまた異なる方向にある。著者は比較文化史家だけあって、そのことを決して見逃さなかった。日中韓のあいだの音階の高低や色彩の濃淡を吟味し、些細(ささい)な気配の違いから、彼我の風土や精神文化、さらには人生美学の差違を見いだし、円転滑脱な名調子でそれぞれの面白みを縦横無尽に語ってみせた。
桃源郷の日本的展開は著者のもっとも得意とするところで、また、その本領がもっともよく発揮される分野でもある。上田秋成の『背振翁伝』、松岡映丘一門による『草枕絵巻』、さらに辻原登の『村の名前』など、近世から現代にいたるまでさまざまな名作を取り上げ、陶淵明はいうにおよばず、あらゆる夢の収集家たちがついに知りえない世界を次々と引き合いに出し、列島の文学芸術にしか見られない感受性を大いに自慢した。
読み終わって、一枚の古びた絵の画面が目に浮かんだ。夕陽がゆっくりと沈む中、一人の老翁が読みかけた書物を手に、飄々(ひょうひょう)と桃源郷の迷路へとゆっくり歩んでいった。