書評
『日本美術の歴史 補訂版』(東京大学出版会)
「かざり」こそ根幹、大胆かつ簡明に描く通史
いまから三十五年前、辻惟雄の『奇想の系譜』を読んだときの驚きを忘れられない。私はまだ高校生だったが、又兵衛、若冲、蕭白、蘆雪、見たことも聞いたこともない画家の主にモノクロの図版と解説によって、歴史の教科書で知る古色蒼然とした日本美術は、色あざやかに輝く未知の大陸に変わった。それが日本美術史研究にとっても画期的な意味をもつ著作だと知ったのは、もっとずっと後のことだ。そして、いまや『奇想の系譜』のおかげで、若冲などは人気画家といえる地位にまで昇りつめている。その辻惟雄による日本美術通史である。
著者は、日本美術の本質を、大胆かつ簡明に「かざり」と「あそび」と「アニミズム」の三点にまとめている。
「あそび」は、一見真面目くさった日本人の生活態度の裏に豊かな遊び心を見ぬいたホイジンガの主張を引きつぐ考えであり、「アニミズム」は、万物に精霊が宿ると信じる日本人の自然崇拝を強調するものである。自然崇拝と日常生活の遊び心。真面目で剽軽な日本人の二面性をあらわす巧みなキーワードといえよう。そういえば、かつて剽軽とは、古田織部が茶陶に取りいれた意匠の奔放な遊戯性を評するのに使われた言葉だった。
とりわけ重要な特質は「かざり」である。
「美術」は明治の初めに西洋の〈fine art〉を日本語に翻訳してできた用語であり、日本人は伝統的に美術と工芸を区別してこなかった。日常的に用いる工芸品のかざりが日本美術の根幹をなすものであり、それは一万数千年前に発する世界最古の縄文土器にさかのぼる。「縄文」は縄目のかざりのことであり、これは、幾何学的な図形や人間や事物の表象よりも、工芸的なパターンや文様の操作・変形に興味を注ぐ日本人の美意識の深層を最も雄弁に物語るものだろう。
一方、縄文的な原日本人のかざりの美学は、弥生時代以降、中国を主な影響源とする東アジア文化圏の波にたえず洗われ、変化を被っていく。装飾古墳に満ちていたかざりは、仏教伝来とともに、仏教美術という大きな渦に呑みこまれたかに見える。だが、西洋美術史の方法論で彫刻としての仏像を分析するだけでは、日本美術の全体像は見えてこないと著者は主張する。
というのは、仏教美術は浄土のありさまを金銀宝石で描きだす極彩色のかざりの総合芸術だったからであり、色彩が褪せ、形だけが残った現状を原状だと勘違いしてはいけないのだ。
それゆえ、奈良、平安、鎌倉の仏教芸術と、室町から桃山と寛永・元禄で頂点に達するかざりの美学とのつながりを探る想像力が、今後の美術研究には必須ということになる。
とはいえ、本書は大学生のための教科書であり、日本美術という森の形を明確にするために、そこから飛びでた枝葉を切るような真似はしていない。歴史書としての首尾一貫性を保ちつつ、日本美術の無限の多様性を三八〇点(!)に及ぶオールカラーの図版にゆだねる。いまのところ望みうる最良の教科書ではあるまいか。
朝日新聞 2006年2月12日
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