書評
『外交官の文章 --もう一つの近代日本比較文化史』(筑摩書房)
天下を考え、文雅を忘れない
近代日本において、文学的才能に恵まれた駐日大使は事欠かない。外交の第一線で活躍しながら、詩人だったり、文筆家だったりする人もいた。その筆頭格として挙げられるのはフランス大使のポール・クローデルであろう。むろん、日本の外交官も引けを取らない。対外交渉の現場で敏腕を振るいながら、名文家として誉れが高い人物はいくらでもいた。著者はそのことに着目し、国際舞台で活躍した人たちが書いた文章の魅力と、そこに浮かび上がってくる豊かな個性や非凡な見識を、彼らが残した回想録や書簡、詩歌などを通して再現させた。
栗本鋤雲(じょうん)をはじめ、十人近くの日本人外交官と、オールコック、クローデルなど四人の駐日公使・大使や参事官を列挙してみると、なるほどいずれも文雅の趣をよく解した人たちばかりである。彼らは天下国家のことを日々考えつつも、自然の風物に親しむ情趣を忘れていない。オールコックは攘夷(じょうい)派による暗殺の脅威に晒(さら)されるなかで、江戸の「春は私たちの上にほほえみかけていた」のを肌で感じ、「桃の木はいっせいに花ひら」いた「この明るい風土、この美しい国土」の温(ぬく)もりに感動した。クローデルにいたっては、「はるばると わが地の涯より来りしは/初瀬寺(はせでら)の白牡丹/そのうち一点 淡紅のいろを見んがため」と、異国の風景に魅せられた心境を短歌のような詩形に詠み込んだ。
こうして、著者はまるで麗(うら)らかな昼下がりに言葉の花畑をそぞろ歩いているかのように、気に入った詩句の草花を摘んでは、そのしおらしさを想像の画布に意のままに思い描いていった。テクストを読み解く手際は相変わらず鮮やかなもので、紙背に徹す眼光には寸分の狂いもない。岩倉使節団の『米欧回覧実記』の漢文読み下し文体も著者の手にかかると、たちまち生彩を放ち、どの断片的な記述も一瞬にして輝きを取り戻すものになった。
むろん本書の眼目は外交官の文章芸を解読するだけではない。文章の綾(あや)は外交というフラスコに点じた試薬のように、その人物の強靱(きょうじん)な精神性をいかに劇的に現出させたかが、得意の手法で解き明かされた。
幕末や明治時代の外交官は和漢洋にわたる幅広い英才教育の陽光を浴び、若くしてさまざまな修羅場に引き出されていた。時代の大変革のなかで、現実への洞察力と果敢な行動力や胆力が鍛えられた。国際社会で風雲急を告げたとき、文人外交官たちがいかに悪戦苦闘していたかは、選りすぐった文書の吟味によって、生き生きとよみがえってきた。
戦後の日本外交につながる人物として幣原喜重郎と吉田茂に注目したのは炯眼(けいがん)であろう。吉田茂夫人・雪子への言及はプリズムのように外交の舞台裏の光と影を反射させて心憎い。
著者は三十代半ばにして処女作の『大君の使節』を世に問い、近代日本人の西欧体験の研究に先鞭をつけた。以来、日本人の精神的原風景を訪ねようと、俳句、詩歌、絵画へと射程を延伸させていった。米寿にして原点に立ち戻り、墨汁が滴るような筆致で自らの研究生涯に重厚な句点をつけた。病床の中で校了を見届け、溘然(こうぜん)として大往生を遂げた。瀟洒(しょうしゃ)な一生に花を添える、快活な最終楽章であった。
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