脱規制、情報公開の制度化へ
日本の行政を動かすものは何か。「追い付き型近代化のエトスである」との解答はすでになくなってしまった。著者は、行政に利用できるリソースをできるだけ能率的に使用する「最大動員」を特色とする日本の「活動型官僚制」は、このままでは維持できないとみる。ではどこをどう直したらよいのか。著者は性急な処方箋(しょほうせん)を提示することはしない。それはまた著者の現行システムに対する評価の問題にかかわってくる。そもそも著者は、日本の行政のいずれの側面においても否定論にくみしない。日本の発展に寄与してきたこれまでのシステムの成果を充分に評価した上で、むしろ成功しすぎたシステムの適応不全や機能不全を論じることになる。その意味では、省庁中心主義のエゴイズムをこえて国益に結びつけるトップ機能の強化を説く「トップと官僚」の章、福祉国家化や国際化への対応の中で変革を迫られる行政の態様を描いた「行政活動の変容」の章、法的には中央集権だが現実の活動領域としては地方独自の世界があったと主張しながらも、なお中央地方関係の手続きの簡素化と透明化が必要と明言する「中央地方関係」の章、この三章から読み始めると、著者のイメージを共有しやすいであろう。
著者は、行政の透明化が不可避でありその方向に努力すべきことを強調する。まず国際化のインパクトが規制行政に及び脱規制を現実化した。脱規制に始まる行政の透明化は情報公開の制度化へとむかい、ここにこれまで非公開ゆえに守られてきた組織内部の慣行が明るみに出される。かくて「地方は、分権を主張する以上、いたるところで自己説明しなければならない」という著者の論理は、官僚制のすべてに拡大されることになろう。
つまるところ行政の変容は市民の態度如何(いかん)にかかってくる。福祉国家に対応する「社会的市民」ではなく、著者の言う地球大の消費者としての「経済的合理主義市民」は行政変革の主体になりうるであろうか。