書評
『街場の米中論』(東洋経済新報社)
「思考の下部構造」の違い探る
≪自由と平等は食い合わせが悪い≫。だからアメリカは、解決不能の葛藤を抱えて両者の間をふらふらする。この国の深層を測る補助線だ。独立宣言から憲法制定まで11年かかった。連邦に権限を集めるか分権かモメた。自由なら分権、平等なら集権。結果、憲法は葛藤と妥協の産物だ。陸軍の予算は一年限り。銃をもつ市民(ミリシア)の権利も認める。こうして葛藤に悩み続けた歴史を持つアメリカだからこそ、信頼できると著者は言う。
タイトルは「米中論」だが、中国よりアメリカの議論が分厚い。アメリカ映画や小説の話が多い。国際政治学者ダウトオウルの言葉をひいて著者は言う、≪一国のふるまいを理解するためには「地理的歴史的深みの次元」に達することが必要だ≫。どの国も≪深みのある集合的意識を「思考の下部構造」としている。≫著者はそれを「趨向(すうこう)性」とよぶ。アメリカにも中国にも趨向性(戦略)がある。そして学術論文より、映画や小説などの≪「物語」の方が「戦略意志」…の情報量がずっと多≫い。
たとえば映画『シェーン』。ホームステッド法(開拓農民に土地を与える)で殺到した移民を、元からいたカウボーイが襲撃。農夫のシェーンは彼らをやっつけるが、結局自分も荒野に去る。アメリカを築いた人びとがやがて居場所をなくし追われる悲劇だ。
小説『ハックルベリー・フィンの冒険』。ミズーリ州生まれのマーク・トウェインが南北戦争の傷を癒す。舞台は戦争前。ハックは逃亡黒人奴隷のジムと自由州を目指して筏(いかだ)でミシシッピ河を下る。南部の人も北部の人も≪違和感を覚えないで読める最初の物語だった≫。
またエルヴィス・プレスリー。メンフィスの黒人地区育ちの彼の「ロックン・ロール」は、ポップス、カントリー、R&Bの垣根を越えて初めて全ヒットチャートを席捲し、若者をひとつにした。
こうしたアメリカ人の情動の深層を探ると、トランプが人びとに歓迎された理由が見えてくる。
中国はどうか。市場経済のもと共産党の官僚は権限を利用して私財を蓄積。共産党は腐敗の摘発を延々と続ける。誰でも検挙できる党のトップは絶対的権力を握る。この観察はとても正しい。
ではどうする。著者は「共産主義化」を提案する。地方に資源を分散しよう。経済は停滞するだろうが、人びとは喜ぶはずである。
著者はエドガー・スノウや中国の公式情報をもとに、革命期や解放後、文革期は官僚も軍人も農民も平等だったと中国を描く。実態は違う。革命期の解放軍は厳格な級別があり、現物給付の待遇が違った。解放後の官僚は住居も食糧も超優遇された。文革期の毛沢東と江青の上海の宿舎を見学したが豪華な洋式ホテルだ。文革は特権化した党官僚を打倒したが、新たな特権層をうんだだけだった。提案するなら資源の分散でなく、権力の分散でなければならない。
ともかくこんなに「趨向性」の異なるアメリカと中国が対峙している。米中の間で板挟みの日本は知恵が必要だ。武道家の著者はどんな知恵が身を守るか教えてくれる。
本書は、著者・内田樹氏が主宰する凱風館寺子屋ゼミでの発言をまとめたもの。学生の報告を聞いてふと思いついたことが膨らんでいく。教えるのではなく、共に学ぶ。このやり方はなかなかよい。万人が楽しめる良書である。