物語世界の奥行きを引き出すアイヌへの真摯な眼差し
野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』の群を抜くおもしろさは、いうまでもないだろう。舞台は明治末期、日露戦争直後の北海道。アイヌが秘蔵していた莫大(ばくだい)な金塊のありかを秘密裏に伝えるため、網走監獄に収監中の囚人たちの皮膚に入れ墨が彫られ、脱獄。かくしてアイヌを巻き込んだ壮絶な「刺青人皮」の争奪戦がはじまる……奇想天外なサバイバルに、ページをめくる指が止まらない。昨年はテレビでアニメ化され、手塚治虫文化賞でマンガ大賞を受賞し、話題をさらった。
本書は、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を務める千葉大学文学部教授、中川裕(ひろし)によるもの。漫画の場面を手がかりにしてアイヌの歴史や文化のエッセンスを詳細に解説、リアルな生活文化の手触りが伝わってくる読み応えだ。アイヌ固有の伝統文化、『ゴールデンカムイ』のオリジナルな物語、同時にふたつの世界へ誘い、きわめて風通しのいいおもしろさ。
コミックスの表紙カバー、袖に毎巻こう書かれている。
「カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム」(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)
アイヌの言葉を引きながら、その背景へと導く。そもそもカムイとは「人間をとりまいているほぼすべてのもの」、自然に限らず、人工物もふくめた環境すべてを指す。アイヌの思想では、人間は他者の命によって生かされており、霊魂は不滅だ。人間とカムイが共存する世界観は現在の社会にとって重要な考え方だと解くのだが、漫画のコマを多用して物語世界と通じることで、アイヌの精神世界がより立体的に繙(ひもと)かれてゆく。
ヒロインの超人少女、アシリパは『ゴールデンカムイ』の魅力を形成する重要な存在だ。その人物像からアイヌの姿を深掘りする。アシリパの名前の意味、狩りの腕前の背景、いつもはおっている白い毛皮の理由、冬山に入るときの装備にまつわる知恵、信仰、あるいは父親の出自の秘密……。とかくスピード感を大事にする漫画では、なかなか説明し切れない要素を抽出して解説、逆に人物像を肉付けする役割を果たしている。あっぱれなチームワークだなあと思いながら、監修者としての漫画への愛とリスペクトに心動かされる。
『ゴールデンカムイ』では、食べ物をめぐるシーンも印象的だが、本書にはアイヌ文化を踏まえたトリビアな知識も充実している。アイヌはキハダの木の苦くて甘い実を香辛料として使うこと、「ヒンナ」はおいしいという意味ではなく、感謝の言葉だということ、ああおいしい!と気持ちを込めるときは「ケラアン フミー」。フミは「感じ」という意味だということも初めて教わった。アイヌは文字を持たず、口承によって文化を伝承してきた。本書には、その伝承文学にじかに触れるような趣きがある。
『ゴールデンカムイ』の人気を支えているのは、フィクショナルな作品性に加えて、これまで長く社会的な差別を被ってきた人々への眼差し、あるいは文化の多様性、自然との共生などへの関心があるだろう。その奥行きを丁寧に引き出す著者の、アイヌへの想いがひしひしと伝わってくる。本書はアイヌ文化に出会う絶好の扉だ。