書評
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)
なんでこんなわけのわからないタイトルをつけるんだろう、あんまりいい趣味とは思えない……と淡い反感を持って読み始めたのだけれど、私はアッという間に、この不思議なリズムとイメージの世界に呑(の)み込まれていた。
「わたし」が「わたし」である根拠をどこかに置くとしたら、普通は脳ということになっているけれど、この物語のぬしは「脳にぐっとこん」という理由によって、奥歯と考えている。
そんな女の「奥歯的なもの」をめぐる狂おしいモノローグが歯科治療室を舞台に繰り広げられるのだが……テーマや筋立てをここに詳しく書いても意味がないし、興をそぐことになりそうだ。
子どもの頃、私は薬局の棚に並んでいるミルクのカンが恐ろしかった。そのカンにはかわいい西洋少女の絵が描いてあった。その少女は小脇にミルクのカンを抱えていた。そのカンにはやっぱり同じ西洋少女がカンを抱えている絵が描いてあった。鏡の中の像のように、ミルクのカンを持つ少女の無限の連なりが、コワかった。どこがどうとうまく説明できないけれど、私はこの小説を読みながら、しきりとその感じを思い出したということだけ書いておきたい。
それよりも言葉、言葉、言葉。「わたくし率」とか「どこ部」とか「連呼のつまさき」とか、独特の造語と関西言葉の奔流が面白い効果をあげている。ぎこちないようでもあり、淀みないようでもあり。切実なようでもあり、とぼけたようでもあり。
例えば、タイトルの意味が一気にわかるような、こんなくだり。
終盤、思いがけない他者の登場は、もしかすると純文学的には失敗なのかもしれないけれど、悲しいコメディーとしては成功だ。厚化粧女のタンカが大いに笑わせる。
【この書評が収録されている書籍】
「わたし」が「わたし」である根拠をどこかに置くとしたら、普通は脳ということになっているけれど、この物語のぬしは「脳にぐっとこん」という理由によって、奥歯と考えている。
そんな女の「奥歯的なもの」をめぐる狂おしいモノローグが歯科治療室を舞台に繰り広げられるのだが……テーマや筋立てをここに詳しく書いても意味がないし、興をそぐことになりそうだ。
子どもの頃、私は薬局の棚に並んでいるミルクのカンが恐ろしかった。そのカンにはかわいい西洋少女の絵が描いてあった。その少女は小脇にミルクのカンを抱えていた。そのカンにはやっぱり同じ西洋少女がカンを抱えている絵が描いてあった。鏡の中の像のように、ミルクのカンを持つ少女の無限の連なりが、コワかった。どこがどうとうまく説明できないけれど、私はこの小説を読みながら、しきりとその感じを思い出したということだけ書いておきたい。
それよりも言葉、言葉、言葉。「わたくし率」とか「どこ部」とか「連呼のつまさき」とか、独特の造語と関西言葉の奔流が面白い効果をあげている。ぎこちないようでもあり、淀みないようでもあり。切実なようでもあり、とぼけたようでもあり。
例えば、タイトルの意味が一気にわかるような、こんなくだり。
あんたら人間の死亡率、うんぬんにうっわあうっわあびびるまえに人間のわたくし率こそ百パーセントであるこのすごさ! ああ! わたしはいまや、なんでか不快であったわたくし率がなんでか愉快でたまらん気持ちになって来た! ああこれこそ! 正味よ!
終盤、思いがけない他者の登場は、もしかすると純文学的には失敗なのかもしれないけれど、悲しいコメディーとしては成功だ。厚化粧女のタンカが大いに笑わせる。
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