書評
『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)
言葉が人に伝わるのは奇跡だという前提に立つこと
日本人がアフリカから来た難民の視点で、異国暮らしの閉塞感を描く。書き方によっては独善的になってしまいそうだが、第二九回太宰治賞受賞作の『さようなら、オレンジ』はそう感じさせない。言葉とは何か。コミュニケーションとは何か。小説を通して真摯に考えているからだ。著者の岩城けいは、大学卒業後、単身渡豪。オーストラリアに住んで二〇年になるという。本書の舞台もオーストラリアだ。主人公のサリマは夫と二人の息子と一緒に戦火を逃れ、〈大きな島〉に流れ着いた。自分の国がどこにあるのかも、今いるのが何という国かもわからない。海辺にある小さな町で、黒い肌は人々の奇異の視線を集める。サリマがスーパーマーケットで働くようになってまもなく、夫が家を出て行ってしまう。肉や魚をひたすら捌きながら必死で子どもを育てる日々。サリマの支えは、故郷と変わらないオレンジ色のおひさまだった。サリマの物語の合間に、「S」という日本人女性が恩師に宛てた手紙を挿む構成になっている。
まず、サリマの目を通して見た世界の鮮やかさに心を奪われる。未知の土地で、母語も使えず、常に緊張しているからだろうか。職場のタイルに落ちた血の赤も、同僚の体臭も、声にならない悲鳴までも、サリマは鋭敏に感じ取ってしまう。感じ取っているものの豊かさと、口から出る言葉の乏しさのギャップによって、彼女の孤絶があらわになる。
食品加工の技術を身につけて職場における評価が高まっても、サリマはなかなか新しい環境に馴染んだという気がしない。〈きっとこの居心地のわるさは、ブロック体で書かれた角張ったアルファベットにあるのかもしれない〉〈この尖った言葉をきれいに捌いてやろう〉と決心する。文字に対する疎外感とコミユニティーに対する疎外感を結びつけているところが新鮮だ。言葉にはつながっているものを切る性質がある、という解剖学者の文章を思い出す。英語によって共同体から切り離されているサリマは、果敢に英語に斬り込み、再び人と関わろうとするのだ。
職業訓練学校で英語を学びはじめたサリマは、大柄で世話好きのイタリアンマンマという感じのオリーブ、赤子を抱えて通学するおとなしい日本人ハリネズミと出会う。オリーブやハリネズミは、見た目の特徴からつけたあだ名だ。研究者の夫について外国に渡ったために自分の学問を途中でやめなければいけなかったハリネズミは、教師の推薦で託児所がついている大学へ。学校に入って初めて自分が勉強したかったことに気づいたサリマは、ハリネズミに嫉妬するが……。ある悲しい出来事をきっかけに二人が再会し、友情を育んでいく過程がいい。書簡を挿入した意図が明らかになる結末にも驚きがある。
繰り返すが、言葉にはものを切る性質がある。方言、業界用語、ギャル語。人間はーつの言語のなかに仲間内だけで通じる言葉をいくつもつくる。もちろん、親しい人とその他大勢を隔てるのは愛の表現にもなるが、内輪の言葉は外側にいる人を排除することもある。一つの言語に閉じ込もっているのはよくないのではないか。本書を読むとそういう気がしてくる。外国語を習得しろという意味ではない。母語でも外国語でも、言葉が伝わるのは奇跡だという前提に立つこと。異なる言語を使う人に敬意を払うこと。自分と違うからこそ相手を知りたいと願うことが、生きる希望につながる。
週刊金曜日 2013年9月20日
わたしたちにとって大事なことが報じられていないのではないか? そんな思いをもとに『週刊金曜日』は1993年に創刊されました。商業メディアに大きな影響を与えている広告収入に依存せず、定期購読が支えられている総合雑誌です。創刊当時から原発問題に斬り込むなど、大切な問題を伝えつづけています。(編集委員:雨宮処凛/石坂啓/宇都宮健児/落合恵子/佐高信/田中優子/中島岳志/本多勝一)
ALL REVIEWSをフォローする

































