書評
『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)
言葉の壁と格闘する女性たち
開くのをためらう本がある。こんな小説をずっと読みたかったのだ!と心を鷲掴(わしづか)みされる予感が読む前からあるからだ。そしてほら、予感はすでに確信に変わっている。本書は二つの物語からなる。一方の主人公はサリマというアフリカ人女性。内戦を逃れ、英語が話される大きな島国に難民としてやって来た。夫には逃げられ、知識も技能もない彼女は、スーパーの生鮮食品加工場で肉の解体に従事し、二人の息子を育てている。英語クラスに通い、思うようにならぬこの外国語と格闘している。
クラスには彼女が「ハリネズミ」と呼ぶ東洋人女性がいる。字も読めず帰る故郷もなく、生きるために働くしかないサリマと違って、主婦のかたわら勉強、という恵まれた境遇だ。サリマは羨望(せんぼう)と怒りすら覚える。ところが、ある痛ましい出来事をきっかけに二人の距離が近くなる……。
小説のもう一つの物語を形作るのは、オーストラリアに暮らす日本人女性の「私」が恩師へ宛てた手紙だ。夫の都合で海辺の町に引っ越してきた彼女は、職業訓練学校の英語クラスに通い始める。
彼女は英語で小説を書こうとしているが、書きあぐねている。日々の生活、新しい出会いについて手紙は報告する。この移民の国に暮らす隣人たちが抱えた孤独に寄り添うように繊細に感応する彼女の孤独。娘を出産した喜びも束の間、不幸が彼女を打ちのめす。立ち直ろうと働き始めた職場で、かつてクラスメイトだったナキチというアフリカ人女性と再会する。
そのナキチがアフリカについて英語で書く恐ろしく稚拙だが心に迫る作文が、「私」に〈書く〉ことの本質を啓示する。それは、越えがたい言語や境遇の壁にもかかわらず、他者へと手をのばそうとすることなのだ。その手がいま、サリマとナキチの物語を一つに結び、読者一人一人の〈私〉へと届けてくれる。
朝日新聞 2013年10月20日
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