書評
『アジア的生活』(講談社)
その日暮らしという生き方
「はまり組」とでもいうべき男たちが、マニラにはいるそうな。フィリピーナのとりことなり、マニラまで追いかけて、そのまま居ついた日本人。その数、推定一万人とか。浜なつ子著『アジア的生活』(講談社文庫)は、代表作『マニラ行き~男たちの片道切符』(太田出版)をはじめ、「はまり組」の素顔を描いてきたノンフィクションライターによる初エッセイ。フィリピンを中心とするアジア各国への、五十回以上にわたる取材旅行を、振り返る。
そもそもの問題意識は、別のところにあった。八〇年代前半、不法入国してきた女性がホステスとして働くことが、社会現象となった。「彼女らはなぜ、日本に来るのか」。まずは出国の現場であるマニラへ向かい、たくさんのフィリピーナと知り合った。
その後の問いかけは、「彼らはなぜ、マニラへ行くのか」に変わっていく。
そして、このエッセイでは「わたしはなぜ、アジアにひかれるか」。旅を通しての、著者の内なる変容が、テーマとして読みとれて、取材雑記を超えたものになっている。
ゴーゴーバーで働くルビーは、田舎から出てきて、十六歳で体を売り、その後の男運もよくなくて、女ひとり、病気の子を含む五人の子を抱え……と、聞くだけでめげそうなストーリーを持つ女性だが、めちゃ明るい。
何がおかしいのか知らないが、笑いころげながら、
「ルビーの家、来るかぁ」
と誘うので、訪ねていったら、あっと驚く掘っ立て小屋。ゴーゴーバーの稼ぎは悪くないが、困った人にどんどんカネを分けてしまう。だから、いつまでも貧しいまま。
ルビーだけが特別気のいい女のわけではない。何ごともシェアするのがフィリピン人の天分なのだ。
強盗や物乞いも、スラムにはうじゃうじゃ住んでおり、サラリーマンの通勤のように、乗合ジープで「商売」に行く。ジープの中では、運転手に払うお金を、後ろから順に手渡し、お釣りもちゃんと返ってきて、誰もくすねたりしないとか。いったい、いいヤツ? 悪いヤツ?
スラムの世界に足を突っ込んだ著者ならではの、生き生きした描写が、面白い。「潜入!歓楽街の光と闇」といった、おおげさな文章でないところも、ほっとする。
ホームレス同然の暮らしをしている坂田氏は、元証券マン。三十代半ばで二千万円の年収を得ていたが、バブルの後は借金に苦しんで、逃亡先のマニラで無一文になった。しかし、なぜだか食いはぐれない。売春婦やクラブ勤めの女性や、誰やかれやが手を差しのべる。ストリートチルドレンでさえ、著者にみかんを食べさせようとするお国がらだ。
「貧しさや生きていくことの苦しさまでもシェアしようとするフィリピン人の底なしの強さ、楽天家ぶり」を、ひとたび共有してしまえば「どんな状況になっても生きてゆける、という強い自負をもつことだけはできる」。そして、精神的に豊かな人間関係も得られるという。
もちろん、物質的に恵まれた国から来た者として、はじめのうちは著者も悩んだ。自分は何ができるか。ルビーに月一万円でも二万円でも送金すればいいのか。
でも、スラムに通ううち、しだいにそうは考えなくなった。人のことを不幸だとか、生活環境を劣悪だとか決めつけて、救い出さなければなどと思うのは、価値観のおしつけに過ぎない。それでもなお、どうしたらいいかと問うならば、「わたし自身が一生懸命生きること」。
(ああ、たしかに、それ以外に答はないだろうな)
と、読んでいる方も思えてくる。
「スラムの魔もの」は「ときに天使で、ときに魂を救済する神様」という。この本を通して、神様の前髪くらいには、さわれたような気持ちになった。
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