書評

『もう一つの金融システム―近代日本とマイクロクレジット―』(名古屋大学出版会)

  • 2019/08/30
もう一つの金融システム―近代日本とマイクロクレジット― / 田中 光
もう一つの金融システム―近代日本とマイクロクレジット―
  • 著者:田中 光
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2018-12-20
  • ISBN-10:4815809321
  • ISBN-13:978-4815809324
内容紹介:
大衆の少額貯蓄は安定的な成長をいかに支えたか。大銀行中心の金融史観が見過ごしてきた役割に光を当てる意欲作。

近代以降、銀行や株式市場を中心とした金融システムとは対照的に、市場経済の荒波から人々の生活を守るために機能した「もう一つの金融システム」。それは、郵便貯金や農協のような、普通の人々の少額貯蓄から作り上げられた「大衆資金」によるネットワークでした。日本の地域社会に果たしてきた、その重要な役割とは。「あとがき」より抜粋してお届けします。

人々の生活を支える、社会的基盤としての金融

博物館や美術館の中でなく、初めて現地で未整理の古文書を見たのは、学部生の頃だった。長野県の飯田市には、東京からは電車より高速バスの方が早く着く。そこからさらに車で山道を進む。曲がりくねった山道を越えて清内路村の中に入ると、道はいっそう狭くなる。神社脇にある、近世からの下区の文書が代々保管されている集会所まで辿り着くのは、まずそれだけで一苦労だった。吉田伸之先生による資料調査の実践的集中講義の一環として清内路を初めて訪れて以来、気づけば調査隊の一員として地元の方と宴席を共にさせていただくことも、古い文字資料を追うだけでなく現地での現在のお話を聞かせていただく機会も増えた。

「古い文書を探している」と突然連絡してきた東京の大学院生を迎え入れてくださったJA和店では、そのルーツである和産業組合の創設者のご子孫のお宅も紹介してくださった。農協の方の車に乗せていただき、ゆるやかな丘陵の上の林檎や葡萄の果樹畑の脇を通りすぎていくと、大きな松の緑が鮮やかな深井家に行き着いた。研究者だと名乗る、所縁もない部外者に、深井家の方々は気前よく座敷を使わせてくださったうえ、お家で採れた野菜や果物をふんだんに使った料理をご馳走してくださった。

深井家にしてもJA和店にしても、鉄道駅が近くにあるとはいえ、車がなければ移動はそう容易ではない。道路の整備も自動車の普及も進んでいなかった時代に、そこから世界市場や都市部の需要を見込んで作物をつくり、情報を仕入れに長野や東京に向かうことは、今の我々の出張や情報収集よりはるかに困難だっただろう。しかし、地元のためにそれを行い続けた人々がいた。地域に残らずにより繁栄した都市部に出る、そうした選択肢も個人としては可能だっただろう。しかし現実には、近代日本においては多くの人々が地域社会に残り、その郷里を発展させることをこそ願ってきたのだった。

「その融資で生産性は上がったのか?」「その経営体が地域にあることで、地域経済の振興になったと言えるのか?」本研究を進めるなかで、こうした質問を受けることは多かった。

そもそも大衆資金が日本経済において果たしてきた役割は、「最も生産効率のよい分野、あるいは最先端の分野に投資されることで経済成長をリードする」といったところにはない。それは大銀行や株式市場といった金融システムに支えられた大企業の役割であった。むしろ大衆資金による金融システムは、「相対的に効率性は低いかもしれないが、広く社会の安定と発展に必要な経済的基盤をつくりだし、維持する」ためのものとして機能してきた。それは生産や投資における効率性を重視するよりも、その地域を、その家計をまずは生き延びさせ、できることならば発展させようという、現場の共同体の再生産に重きを置くものだったといえる。そして、その裾野の広い安定的社会の維持こそが、日本における地方の発展を支えてきた。

我々は長らく、大衆資金そのものとその運用を看過し、過小評価してきたのではないだろうか。これほど大きな資金、大きな金融システムが、日本に限らず国際的にもこれまで注目をあまり受けることなく、研究蓄積も少ない状況は、今こそ見直されるべきだろう。

もっとも、日本国内では近年批判を受けることの多いこれらの大衆資金ネットワークであるが、こうした論調は必ずしも世界共通ではない。日本と同様に長い歴史をもち、そして大規模な協同組合金融組織をもつドイツでは、現在でも協同組合銀行が総資産・融資額を伸ばし続けており、預金高でも大きく民間銀行を凌ぐ。さらに近年、新しい形の協同組合銀行の発展も見られ、民間銀行以上に評価されている。たとえばGLS銀行(直訳すると「融資と寄付のための共同体銀行」、1974年設立)は、「社会的かつエコロジーな金融活動を行う」ことを理念として掲げた協同組合系金融機関で、非営利目的の金融機関でありながら2010年から6年連続、ドイツ国内で「今年の銀行」に選ばれた。融資先を「エコロジーな農業、再生可能エネルギー、住宅、社会福祉・社会的ネットワーク、教育」に限定したこの銀行は、金融商品の先見性とイノベーション力を評価されて、2013年に『フィナンシャル・タイムズ』紙と国際金融協会による「ヨーロッパにおける持続可能な銀行」賞を与えられたほか、2016年には民間大銀行であるドイツ銀行を抑えて顧客満足度第1位の銀行に選ばれている。昨今の欧州において協同組合銀行は、むしろ最先端の社会形成を支える金融システムとして認識されているといえよう。

「金というものは人々のためにあり、銀行はそのためのサービスを行う存在である。銀行業務は、社会的に意義あるもののために行われるべきであり、それによって人々の生活の基盤を支え、改善することが銀行の目的である」とするこの協同組合銀行の経営方針には、「共存同栄」を掲げてきた日本における大衆資金ネットワークと共通する、社会的基盤としての金融という理念を見ることができるように思う。21世紀の今こそ、あらためて大衆資金ネットワークのその力と役割に目を向ける時なのではないだろうか。

[書き手]田中 光(中央大学経済学部)
もう一つの金融システム―近代日本とマイクロクレジット― / 田中 光
もう一つの金融システム―近代日本とマイクロクレジット―
  • 著者:田中 光
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2018-12-20
  • ISBN-10:4815809321
  • ISBN-13:978-4815809324
内容紹介:
大衆の少額貯蓄は安定的な成長をいかに支えたか。大銀行中心の金融史観が見過ごしてきた役割に光を当てる意欲作。

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