書評
『旅の遠近』(青弓社)
時を駆けてきたモノたちを旅の道づれにして
海外旅行が自由化される前の六〇年代初め、欧米を回ってきた父の旅行鞄から出てきた土産の数々。中でも誇らしげに見せたのがジョニ黒だった。こちらはまだ中学生、酒の味など知るよしもなかったが、何やらすごいものらしいということだけは想像できた。この本を読んでいると、そんな記憶が甦る。トーマス・クックの旅行社にはじまりクイーン・エリザベス号にいたるまで、旅にまつわる「モノ、ヒト、コト」を紹介した「一人ムック」とでもいおうか。モノはいわゆるブランド品だが、なぜそれがブランドになったのか手際よく説明されている。どこかで聞きかじったことはあってもあやふやなのが雑学的知識。思い出せないじれったさを解消してくれるような本だ。
読み進めるうちに、ある種のパタンが見えてくる。すなわち、職人的気質をもったヒトが手作りにこだわりつつ作ったモノが評判を呼び、さらに不景気や戦争、ライバル登場などのコトを契機に改良が加えられ、より大きな評価を得るという構図。彼らは時代を先取りしたり時代を作ったりするという点で共通している。また二代目の発想転換や経営手腕が成功を産む場合もある。職人芸ということで、さすがヨーロッパのブランドが多いが、アメリカのモノやソニーなど日本のモノも取り上げられている。またモノの歴史にともなう広告の歴史がビジュアルに見れるのも楽しい。
買い物ツアーに出くわすのは御免だけれど、時間を旅し、その良さを鍛えられてきたブランド品を求めることは決して悪くない。問題はそれらを活かせるかどうかにかかっている。そのためにも本書は読まれるべきだろう。ただし、最後に大逆転がある。グアテマラを訪れた著者が、ロマンチックな旅に酔ってしまうのだ。そして彼はブランド品ならぬ民芸品の良さを称えはじめる。一杯食わされた気がしないでもないが、そうした矛盾を抱えて旅をしているのが我々なのだろう。
初出メディア

翻訳の世界 1995年7月号
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