ドラえもんの魅力
お風呂に入っていると、急に息子が言った。「おぼれ大会っていうのがあったら、のび太も一番になれるのにね……」。『ドラえもん』の主人公のび太のことを、息子は何かと気にかけていて、よくこういう発言をする。「オンチ大会なら、ジャイアンが優勝だね」と私も提案してみるが、これはすぐに却下。
「だめだよー、ジャイアンは自分がオンチって知らないんだから。レコーダーに録音して、じーんってしてるんだよ。おかあさん、オンチなんて言ったら、ぼこぼこにされて首しめられるよ!」
物語に没頭し、登場人物に感情移入するという初めての経験を、ドラえもんは持ってきてくれた。『ドラえもん』を読んでいるあいだは、その世界の住人になりきっている。読み終わったあとでも、作中に出てくる鏡の世界に入ろうとして、洗面所の鏡に頭をぶつけたりしている。
そして、泳げないのび太のことを思って、「おぼれ大会」なんていうのを考えてしまうほど、息子はのび太贔屓(びいき)だ。
主人公が、なんでもできるスーパーマンではなく、この「のび太」だからいいのだろうな、と思う。助けてくれるドラえもんとて、決してデキのいいロボットではないという設定だ。だから子どもは、親しみを感じるし、一緒になってハラハラもするし、うまくいけば喜びもひとしお、ということになるのだろう。
が、実はちょっと心配な面もあった。こんなにのび太に肩入れしてしまっては、「勉強は、つまらない」「テストは、むずかしい」「宿題は、イヤイヤやるもの」という発想が、刷り込まれてしまうのではないだろうか。学校に行く前から、そんな先入観を持ってしまっては、子どもにとってマイナスなのではないだろうか、と(少数派かもしれないが、私自身は、ものすごく勉強が好きな子どもだった)。
しかし、それも杞憂に終わりそうだ。
「のび太は勉強のとき、どうしても、なまけごころが出るんだ。でも一年に二、三回反省して、ひとみが輝くんだよ!」なんてことを嬉しそうに言っている。反面教師と言っては言い過ぎだが、子ども心に、なまけるのはよくないということが、そしてそれを克服するのはエラいということが、わかっているようだ。そのあたりの伝え方が、『ドラえもん』は実にうまいと思う。
また、こんなこともあった。明日、ポケモンのカードを、幼稚園のお友だちと見せっこするという。実は息子は、私の知人のご子息から、かなりの数のカードを譲り受けた(彼はもうポケモンを卒業し、次なるカードゲームに夢中らしい)。おそらく持っている数やカードの豪華さは、息子が一番だろう。少し心配だ。
「たくみんがたくさん持っているのは、しゅんすけお兄ちゃんの大事なカードをいただいたからだよ。お友だちのカードが少なくても、少ないなあっていったり、いばったりしないでね」。私が言うと、こんな答えが返ってきた。
「わかってる。それは、いつもスネ夫がやってることだから」
カードの見せっこは、楽しくできたようだ。
【この書評が収録されている書籍】